あかんたれブルース

継続はチカラかな

目が小さい(涙)



わたしはフランス人とかイタリア人とか称していますが

目が小さい。

目薬を差すと半分以上が零れてしまいます。

「君のことを想って泣いたのさ」という言い訳は通用しない。甘くない。

彫りも浅いので素直に頬をつたって流れていきます。


小さな目。
歌手になりたかったわたしはこのハンデとコンプレックスで
苦渋をなめた。ものさ。

ペロペロ、ペドロ&カプリシャス、ジョニーが来たな伝えてよ。 


明治の日本人の目も小さかった。

視野が狭かった、という話です。

でも、知らないことを知る人間は
そのことを認めない人間よりも、偉い。

彼らはそれを知るために海を渡った。たとえば、アメリカ。

この国は他民族国家で幾層もの民族の断層が重なって構成されています。
その一番上にはWASP[ワスプ]という
白人でアングロサクソンプロテスタントの支配者層がありますが
それ以上に細分化され
ドイツ系、アイルランド系、ポーランド系、イタリア系スラブ系といった
階層があります。

その底辺には中国系、日本系、インド人、フィリピン人、ラテン系といった
具合で安い賃金を提供する商品でした。

幕末から明治にかけてアメリカに渡った日本人は
底辺のブービーあたりの
位置付けです。

そのとき既に中国人が先客としていた。
彼らは中華鍋ひとつもって何処へでもいく楽天家です。
大陸横断鉄道も彼らの安い労働力で完成できたといって過言ではない。

この頃の言葉の解らない外国人の最低賃金の相場は月25ドルだったそうです。
やがて言葉が理解でき、料理や洗濯などできるようになると
90ドル〜100ドルぐらいまでにあがったそうです。

南北戦争奴隷解放となったアメリカでも
まだ安い労働力は必要とされていました。
需要と供給があったのです。

アメリカ人にとって中国人と日本人の区別はつきません。

けれども、見かけではなく、その性質でそれは証される。

中国人は貯蓄に奔走し、三年間で1000ドル貯めないと落伍者と考えられた。
そのお金をもって故郷に帰ると兄弟親戚を稼ぎに出させる。
こういったメカニズムで一族が豊かになることを目指したのです。

対して、日本人は給料を貰うと辞書や本を買った。

貯めるためか、学ぶためか。の違いが中国人と日本人の違い。
渡米の目的の違いだったんでしょうね。

小さな目の東洋人。
欧米人にはそう見えた。どれもこれも同じに
それでも、その目がみつめるものには
三年先の現実か
もっとその先にあるものか
その視線の行方を欧米人でさえも感じたのですね。

それから一世紀以上経って、
わたしたちの生活や価値観も欧米化し豊かになりました。
体格もよくなって、もしかすると目も大きくなったかもしれない。

一重瞼のわたしなんてジャニーズ事務所は門前払いだったものさ。

それは、さておき
目の大きさじゃない! どこを見つめるかじゃ!
韓国に整形しにいくなよ!

なんか違うな・・・