あかんたれブルース

継続はチカラかな

明治のイケメン(6)

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海軍からもう一人。
佐藤鉄太郎。
「日本のマハン」と謂われた人です。

天才作戦参謀秋山真之とライバルとして比較された人物。

写真が荒くてすみません(汗)。
なかなか出回っていないんですよ(涙)。

可愛い優男のような面もちですが、なかなか鼻っ柱の強いタイプ。
日本海海戦せは上村彦之丞艦隊の参謀で、
敵旗艦「スワロフ」の異変にいち早く反応して臨機応変を演じた主犯。

若い頃に心形流を学び、師匠の伊庭想太郎からその極意を伝授された。
「万策つきて、窮地に追い込まれたら瞬時に行動せよ。
 無茶でもなんでもかまわない。捨て身の行動に出るのである」

これを実行したのです。

因み、伊庭想太郎の実兄が伊庭八郎といって
山岡鉄舟の剣を跳ね飛ばした幕末屈指の剣士です。
戊辰戦争で負傷して片腕の剣士となり、函館戦争で散りますが、
この兄・八郎は非常に女にモテた。数じゃない、質です。
当時吉原のナンバーワンだった本楼の遊女「小稲」。

司馬さんの『峠』に登場する
あの河井継之助も夢中になったイイ女。その小稲を夢中にさせたのが
伊庭八郎です。

兄が戦死したことから伊庭想太郎が心形流を継ぐのですが、
山口昌夫の『経営者の精神史』でよやく写真を発見。
兄とはちょっとタイプの違う無骨な感じです。
経営者というのは維新後、教育者として学校経営をしていたんです。
そして、明治34年
杉山茂丸の親友で当時東京市議会議長だった星亨を
市庁参事会室内で刺殺しちゃった。
星に対する風説を信じて義憤に駆られたものです。
誠に、無骨。

村田蔵六、森礼有、大久保利通安田善次郎原敬伊藤博文・・・
明治から大正、昭和・・・
ある意味、暗殺の歴史でもある。

話がだいぶ外れました。

この佐藤鉄太郎、戦史研究家の第一人者。ではあるけれど、
天才ではなかった。

つまり、同じ戦史研究家の東條英教が必ずしも
優秀な司令官ではなかったように、秀才と天才の差は大きい。
ちと点が辛い気もしますが、やっぱり屁こき虫でないと
天才とはいえない(笑)。




分類は「海軍さん」
明治男前烈伝(6)佐藤鉄太郎