あかんたれブルース

継続はチカラかな

不自由でナンセンスでげす

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ただいま~あ(寒)
寒いですね、雪がまざった昨日は雨模様の東京。
滞在中の鹿児島は暑かった(汗)。半袖でした。
なんか南方から復員してきたような感じです。

色々なお土産話もありますが、随時ちょっとずつ参ります。

東京から鹿児島は飛行機で約2時間。
鹿児島空港は宮崎に近い県の北側で市内まで約1時間の所です。
通常は空港からのリムジンを使用するので市内素通りコースでしたが
今回は市内加治屋町に行きたかったので久々に西駅(鹿児島の玄関駅)の前に立つ・・・

もう西駅とはいわないそうな・・・
鹿児島中央駅というそうです。
すっかり様変わりして、観覧車もあったりして、アミューズメントパークみたい。

駅の東口正面に「若き薩摩の群像」というモニュメントがあります。
今回の旅はここからはじめましょう。

薩英戦争の後、薩摩藩は15人の若者と世話係4人を英国に留学させます。
当時はまだ鎖国なのでこれは国禁を犯す密航にあたる。
一人あたりの費用が現在のお金に換算すると2500万ぐらいだったそうです。

選ばれたのは当然、優秀でやる気のある若者ですが
禄高5石とか家格には関係なかった。
一番の年少は十二歳ですよ!
(Kちゃんと同じ歳だ)

この17人のモニュメントには除外されていますが
脱藩した土佐藩士も入っていました。

なんか上士と下士郷士)の口やかましいどこぞの藩とは異質ですよね。
島津久光という藩主は色々と問題を指摘されますが
小松か大久保か側近が偉かったんでしょうねえ、御英断です。

彼らは長い航海を経てまだ工事中のスエズ運河をまのあたりにして
西洋文明の「凄さ」を痛感するのでした。

この留学生のなかに森有礼とか五代友厚などもいます。

そして、鮫島尚信という若者もいる。
鮫島という苗字に反応したぞ。
例の巷の陰謀説では小泉元首相の父親・純也氏を朝鮮系日本人としましたが
彼の旧姓(小泉家に養子に入る前)は「鮫島」でしたよね。
この鮫島尚信は川辺郡加世田郷小松原です。
これは小泉純也氏と同じ。


前回、鮫島姓は鹿児島ではポピュラーだと記しました。
藤原南家で伊東氏(宮崎・鹿児島に多い)からわかれた狩野氏族だそうです。
建久三年、源頼朝からの命を受けて薩摩に下った鮫島宗家から増えた。
その後、800年以上もの歴史をもつ名族の氏です。

小泉純也氏の実父鮫島彌三左衛門は「漁業」で「事業に失敗」とあります。
漁業で事業に失敗ということは「船主」か「茹で小屋(鰹節製造所)」。
もしくは両方ということです。
こういった職、事業をやれるのは私財と地元に根付く顔がないと、出来ません。
東加世田村の鮫島氏は地元に根付いた家系。はやい話が島津藩士だった。
加世田は近隣の知覧や桜山、伊集院などと同じ士族のまちですからね。

そこに同郷(小松原)の鮫島尚信、弟の鮫島尚信などがいる。
日露戦争大本営附から第十一師団長を拝命した鮫島重雄将軍もいる。

長州の田布施出身の佐藤氏(岸信介佐藤栄作兄弟→安倍晋太郎安倍晋三
その出自云々いうけれど、
その曾祖父・佐藤信寛は長州藩士で佐藤家第10代当主です。
藩校明倫館に学び、江戸で長沼流兵学を修め、吉田松陰に兵要禄を授けた。
そういう家系を云々いうのはナンセンスだと思う。

そんなことよりも
鹿児島中央駅の若き留学生のモニュメントから外された
高見弥一(土佐藩脱藩)と長崎人の堀孝之の二人。
http://www2.tky.3web.ne.jp/~kirino/6.html
「若き薩摩の群像」のモニュメントが制作されたのは
昭和57年(1982年)です。
外された二人のことを考えると、
身分制度や藩意識が強かったはずの幕末よりも
現代のほうがよほど不自由だとは思いませんか?



分類は「若宮」
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