あかんたれブルース

継続はチカラかな

甲突川を渡って

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翌朝、中央駅近くのビジネスホテルからナポリ通りを
甲突川を下って数分・・・
南洲橋を渡ると、そこが加治屋町です。

当然ですが、西郷隆盛の生誕の地には弟の従道の石碑もあります。
大西郷に比べて従道の石碑は小さいなあ。

その近くに従兄弟の大山巌家もあったんですね。
一歳違いの従道とは兄弟のように育った。
一回り以上年長の大西郷とは親のような感じでしょうかねえ。

幼い大山巌が西郷家に向かう姿を想像したら
なんか切なくなってきた。
大山家は貧しくて、といって西郷家も貧しいのだれども
ここで家族同様に食事をして育った。

二人は成長して大西郷の左右に在って働く。
大馬鹿者の信吾(従道)
知恵者の弥介(巌)
西郷隆盛は彼らを人に紹介するときに
そういった。


通りの向こうに山本権兵衛の家がある。(現在は病院の敷地内)

東郷平八郎の家は現在の中央高校の敷地の中でした。

黒木の石碑があんまりひっそりしていて見過ごして通り過ぎてしまった。

どれもこれも地味な石碑なのです。

それでも・・・

司馬さんが
明治維新はひとつの町内で成し遂げた」
といった表現をしていましたっけ。

こういうのが歴史のダイナミズムというものなんですね。
別に、薩摩の芋蔓式とかの縁故とかじゃない。
ましてや、陰謀説でもない。

時代が動くとき、人は躍動する。
立身出世とか
名誉と栄光のためではなく

人間が時代を作るのではなく
時代が人を作るのだ。

日本列島の南端で時代に呼応して
人が生まれ育まれ
そして生きて散った。わけです。
結局は、もう誰も生きてはいない。
明治は遠くなってしまいました。
それをしるす石碑も
住宅街のなかに埋もれてしまっているようでもあります。




分類は「若宮」
明治男前烈伝(10)堀川辰吉郎(11)南薩旅情番外地(2)