あかんたれブルース

継続はチカラかな

薩摩焼きと民族と国家

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今回、指宿の老舗旅館「白水館」に泊まりました。
http://www.hakusuikan.co.jp/
砂むし風呂の写真を撮って
「陰謀に深入りし過ぎて埋められた!」図
にしたかったのですが、撮影禁止じゃった(涙)。残念

この白水館には伝統工芸の「薩摩焼き」が多数展示されています。
薩摩焼き」というと黒とか白とかの無骨なものを想像しますが
なんとも絢爛豪華で雅なものです。
16世紀後半から伝わって、以後発展進化して、
19世紀後半には頂点を極めたようですね。
ヨーロッパでも高く評価されていたそうです。

それを支えたのが秀吉朝鮮出兵で連れてこられた
韓人陶芸技術者たちです。


  雨が壷を濡らしている。
  壷は、庫裡のすみにころがっている。
  「朝鮮ではないか」

司馬遼太郎の『故郷忘じがたく候』の出だしです。

その壷は薩摩焼きでした。

それから20年経って、司馬さんは鹿児島の「苗代川」という地名をたよって
「美山」という部落を訪ねます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8B%97%E4%BB%A3%E5%B7%9D

鹿児島には韓国ふうの姓名が世襲で、戸籍名としていまもある。
その「美山」には沈氏、朴氏、金氏、鄭氏、李氏があり
400年経った今でもそれを変えようとはしない。

それでも、明治に入ってから朴氏は東郷に変えたそうです。
東郷平八郎の東郷ではなく、
大日本帝国最後の外務大臣東郷茂徳がそれにあたる。

わたしが言いたいのは
鹿児島、薩摩では韓国に対する差別意識はさほどなく
彼らはプライドをもってその姓名を世襲していったということです。
彼らは「朝鮮筋目の者」として武士同様に礼遇さて
軍役を免除される非戦闘員の郷士とされました。
そして、薩摩焼きは彼らによって育まれた。
貧しい薩摩藩にとってこの薩摩焼きは殖産の要たる商品になった。
これが維新の戦費にもなる。

が、大正・昭和になってそれは忘れ去られてしまう。

わたしは思う。
単一民族だという日本という国。けれども、
国家とか民族とは何か?

日本は東日本と西日本に分けられ、関東と関西では
言語や文化が大きく違います。

その意味で、九州を西日本に入れることに
なんとなく大雑把な気もしないでもない。
九州人は本州人と比較して顔が違います。
欧米人のような人もいれば、南洋の人のような顔立ちの人もいる。


なにをもって日本人とするのか?

なにをもって差別するのか?





分類は「若宮」
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