あかんたれブルース

継続はチカラかな

西郷隆盛の実像を想い湯あたり

イメージ 1

「白水館」の複数のお風呂に全部入ったら
湯あたりをしてフラフラしました(汗)。
一瞬、脳梗塞・・・の予兆かしらん? とヒヤリとした。

で、一階のフロント向かいの売店でお土産ものを物色。
かるかん、黒豚みそ、山川漬け、酒盗・・・

こんなものを見つけました。

西郷隆盛の実像』

買ってしまった。その理由は

この「白水館」が出版したとのことで、ここでしか入手できない。
と思った。それと、
「生き証人50人が語る」というその証人のラインナップ。

頭山満杉浦重剛山岡鉄舟、高島鞆之助、谷干城、三浦梧楼、大江卓
海軍からは樺山資紀、川村純義、伊東佑亨、東郷平八郎、柴山矢八
色々な人たちが西郷を語る。

旅の記念に購入しました。税込み1500円也。

頭山満は西郷が好きだったんですね。
彼が進藤喜平太などと獄につながれた福岡の変は
西南戦争に呼応したものです。

杉山の親友で熊本の佐々友房も西南戦争に参加しました。
今回、彼の写真を(加治屋町の資料館で)入手できたのは嬉しかった。
西南戦争には熊本、福岡など九州全体が萌えた。

大江卓の土佐派もそうです。陸奥宗光も・・・
それこそ、親友で盟友の伊藤博文を暗殺しようとした。

しかし、
この西南の役っていったいなんだったのかな~あ・・・

これこそ、歴史の謎。

前日、加治屋町を歩きながらセンチメンタルになったのは
きっとこのせいです。

西郷と大久保利通、盟友との決別。

そして、左右の従道と大山巌を東京に残した。

黒木も野津兄弟も、山本権兵衛も明治政府に残った。
黒田清隆も川村も樺山も伊東・・・

明治を語るうえで薩長藩閥政治を抜きにしては語れない。
けれども、薩摩の芋蔓式といわれる薩摩閥はなにをなしたのか?

疑問です。

維新直後、明治政府は薩摩が握っていました。
陸軍も海軍も
それが西南戦争で二分されて、陸軍は長州の手におちました。
薩摩の海軍というけれど、その育ての父の山本権兵衛
海軍の薩閥払拭を実行した人物でもあり
その後ろ盾になったのが西郷従道

歴代総理も黒田清隆松方正義山本権兵衛の3人しか出ていない。
8人を数える長州にここでも水をあけられている。

それとも、日露戦争後の上原勇作をもって
薩閥の復権と位置付けるのだろうか?

維新三傑といわれた西郷隆盛(薩摩)、大久保利通(薩摩)、桂小五郎(長州)。

維新の後の明治には様々な矛盾と問題を抱えていた。
西郷は、その矛盾を抱えて西南戦争で没し、
大久保は、その問題を抱えつつ紀尾井坂で倒れ、
桂(木戸孝允)は、頭痛(鬱)を理由に無能化していった。
時代がそれぞれの役割を果たさせて屠ったがごとく。

明治は伊藤博文山県有朋の手に委ねられていきます。

二人の長州人を庇護したのは長州の木戸孝允ではありません。
伊藤は大久保に、山県は西郷に・・・
前者はそれでもいいけれど、後者は、疑問だ。

なんて、露天風呂に入りながら妄想していたら
湯あたりをしちゃったのです(汗)。





分類は「若宮」
明治男前烈伝(10)堀川辰吉郎(11)南薩旅情番外地(5)