あかんたれブルース

継続はチカラかな

わけがない。となぜ昂奮するの(汗)

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後でニュースによって知りましたが
その日、鹿児島県には春一番が吹いたのどうです。2月11日ですよ(涙)
もう、朝から大荒れで台風のようでした。
傘をさしていてもずぶ濡れ。雨はスコールから滝のようです。

嵐のなかを加世田に向かう。

加世田市内に入って雨は滝のようです。
この天気ではとても現地調査は難しい。目的をひとつにしぼって
小泉純一郎元首相の父純也氏の銅像があるという万世小学校に向かった。
住所を控えてきました。加世田(南さつま)市万世小松原・・・
川辺郡東加世田村小松原・・・が、カーナビで検索されません。

地元警察署があったので、躊躇わず聞きました。
親切なおまわりさんが新しい住所を教えてくれた。
南さつま市加世田唐仁原6410-2

一度引っ返して最初の交差点を右折。そこから12、3分。
小さな道に入って坂を登ったところに小学校はあった。
はて、その銅像は・・・探すこと10数分
道を隔てた校舎の向かいのグランドの奥にあった。
泥濘をぴょんぴょんしながら銅像の前で記念写真。

この辺りは唐仁原というのですね。
海岸沿いを下れば笠沙、坊津・・・ここらは倭寇の末裔の地です。

南薩摩の海岸と中国は海の道で繋がっています。
福建・浙江省東シナ海に面して繋がっている。当然、朝鮮半島とも。
唐仁原という地名に浪漫を感じる。

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●>小泉純也は上京して小泉又次郎というヤクザ(刺青大臣と言われた)の婿養子となって
●>「小泉姓」を名乗り、日本国籍を取得したのだ。小泉の次に安倍政権、
●>そのいずれもが朝鮮人部落だった田布施の出身であることが偶然であるわけがない。
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       鬼塚英昭『日本のいちばん醜い日』(成甲書房)より

「わけがない」といわれても・・・
まず、純也氏は小泉姓の前に「鮫島」という立派な薩摩士族の姓名があった。
この地域を朝鮮云々と差別まがいのことを宣伝する逆陰謀には
一昨日の『故郷忘じがたく候』の記事の通りです。

小泉又次郎をヤクザとするのもどうでしょう?
確かに入れ墨はありました。が、やくざ(博徒)ではなく、又次郎氏は代々の家業が鳶職。

やくざ史にはちょっとうるさい馬太郎としては鳶をやくざとはしません。
また、テキ屋に対してもやくざと一括りにしていいのか?
じゃあ、土建業はどうか。大林組もやくざにするのか?
(3歩譲って、テキ屋をやくざと認めて)
やくざの認識は終戦を起点に大きく変わります。
それまで、テキ屋博徒だったやくざに
愚連隊というものが加わります。これは大正時代から発生していました。

これを戦争で後継者を失った博徒系組織がスカウトします。

やくざを在日朝鮮人被差別部落出身とするのが現代の認識ですが
この愚連隊は必ずしもそうではない。
愚連隊は不良少年(モボ)がルーツですから学生(セイガク)も多い。
東京では國學院、明治、法政などの一流大学のモサ(運動部などの硬派)たちが主体。
仁義なき戦い』の美能幸三も兄弟分の三代目山口組若頭・山本健一
中流家庭の出。
また、安藤組の花形敬は上流の部類で乃木希典の親戚筋。

やくざを暴力団とするのは朝鮮戦争の後と考えていい。

さて、やくざと政治の関わりは明治の自由民権運動からです。
官憲に対する暴力に対して民権運動家はやくざを利用しました。
それが絶頂に達するのが大正時代で多くの院内・院外団が生まれた。
細木数子の父をやくざとするのは間違いでこの院外団の活動家です。

院内にあって暴力弁に担った代議士として
福岡県の吉田磯吉と山口県の保良浅之助(籠寅一家)が双璧の東西横綱
小泉又次郎もそのなかの一人ですがやくざとはならいでしょうねえ。
院内団格付けは「大関」か「関脇」クラスでしょうか。
立派な方です。城山三郎の『男子の本懐』にも登場しますので是非。

ということで、上記の鬼塚英昭氏の「わけがない」の妄想を潰します。
そういった決めつけすると稲川会横須賀一家が黙っちゃいないぞ。



分類は「若宮」
明治男前烈伝(10)堀川辰吉郎(11)南薩旅情番外地(完)
校舎の向かいグランド奥に銅像はありました。とても慎ましく生徒達を見守っているようで、好感が持てました。
日本人として、小泉純也氏を愚弄するのは恥ずべき行為だと痛感した。

しかし、怪しい男が傘をさしている。やくざだね(涙)