あかんたれブルース

継続はチカラかな

まず、半歩。外堀を埋めて

昨日、紹介者を介して
山口県田布施出身者の方と面談してきました。

この方は三代前に岡山県から田布施に住んで一族で
本人は18歳より田布施を出て以来各地(海外出張を含め)に移転して
現在千葉県に住む方です。
なんら田布施を擁護する必要もなく、
と同時に田布施の土地柄を肌で感じた証言者として最適かと考え
会ってきました。

質問は、田布施は朝鮮系の部落なのですか? です。

非常にナーバスな質問なで、
初対面のわたしが単刀直入に問えるものではありませんが
敢えて、ここではそれまでの経緯は省略します。

結論からいうと、違う。

田布施という所は単なる田舎です」というものです。

この方の奥様の話は下関出身だそうですが
小学校の頃に、クラスの半分が在日韓国人朝鮮人だったそうですが
田布施にはクラスで一人いたかいないか。
つまり、それほどの田舎で、地場産業もなく
ただただ農業だけのなにもない田舎である。と言い切られました。
また、
昭和16年生まれのこの方の三代前から
田布施にそのような大室家もしくは南朝云々の話は聞いたことがない。
田布施村は現在のそれよりも小さい。
その小さい共同体で生まれ育った方の意見として聞いてください。

また、被差別部落云々もなし!


わたしは、個別な佐藤家(岸家含めて)、安倍家、橋本龍太郎の母方の大室家に
どのような言い伝え、古文書があるかは知らないが、
それイコール「田布施」の陰謀云々と宣伝する者の
浅はかさをまず、ここで、明記しておきます。


このブログは最初「明治水滸伝」として杉山茂丸と明治を紹介する
目的で始めました。
それだと話が固くなりそうなので
「お金と人生と幸せと」にタイトルを変えて
常識を疑え。を主旨にして4年8カ月。
ドラマ『坂の上の雲』することから再び近現代史にどっぷりブログに戻した次第です。

それ以前から明治(近現代史)の謎は多々あったのですが
どうしても幕末以前や、日露戦争以降の昭和史にまで言及しなければならない。
それに躊躇していたのです。
近現代史、説くに昭和の戦前史、もしくは太平洋戦争の秘史は闇の部分が多い。
ただでさえ、敬遠される近現代史の謎を深めさせても仕方がない。
それに答えるだけの力量が自分にはない。
それが躊躇の理由です。

それでも、なぜ研究家は杉山茂丸を無視するのか?

半藤一利氏でさえも「法螺丸ですからね、危ない危ない(笑)」と
笑ってすまされた。

また、堀雅昭の『杉山茂丸伝』では
杉山を伊藤博文児玉源太郎原敬暗殺の黒幕と匂わせている。

江ノ島に児玉神社があります。
わたしは2006年の児玉源太郎没100年祭を前にここを訪れた。
これは杉山が建立した神社ですが
堀氏はそれを杉山が後ろめたさ(児玉の怨念を鎮めるため)という
ニュアンスで書いてあった。

児玉小説本の古川薫『天辺の椅子』では
日露戦勝記念の釜を禅宗の坊主からの贈り物として表現している。
そのくせ、この表紙イラストは奉天会戦後の児玉のスナップで
この左側には杉山茂丸が写っている。
そして、古川氏は児玉暗殺の犯人を後藤新平と匂わせる。

その立場、スタンスはピンからキリで
その陰謀説もまたピンキリです。

なんというか不細工なセーターが編まれた感じで
「あやつられた龍馬」とかのフリーメイソンとかスパイ説、
日本人ユダヤ人道祖説から奇書から宗教、超文明・・・
厄介なことになってしまっている。

ただ、わたしはこの毛糸をすべて否定はしない。
問題はその取捨選択と編み上げ方なのだと考えます。
幸い、ドラマ『坂の上の雲』第二部スタートまでには時間があるので
わたしのわかる範囲で考察推理していきたいと思いました。

それもあって、「明治のイケメン」から
堀川辰吉郎を登場させてみました。
本来は、彼が孫文のもと中国大陸で活躍する第二部に
話を進めなければいけないのですが
辛亥革命と日本人の関係を紹介したり、
大本教とかが関係してきたりするのでもう少し時間をください。

その前に、巷の鬼塚説や太田龍説の流布にチェックを入れておきたい。
また、日露戦争以前の明治の謎にも考察の場を持ちたいと思います。
なるだけ、難しくしないで分かりやすくを心がけます。
自分の思考整理という場として、また多くの人に杉山や頭山満のことを
知ってもらえれば幸いかと思います。

そんな感じで、まず本日は
長州田布施を陰謀の場所と決めつける「力業」を否定しておきます。
尚、長州・薩摩の田布施については引き続き地元取材を続けていきます。
なにか新しい情報が入手できれば、それはまたそのときに。



分類は「若宮」
明治男前烈伝(10)堀川辰吉郎(12)掘削技術低下と手抜き工事(2)