あかんたれブルース

継続はチカラかな

落合論文のボタンの掛け違い



落合氏の唱える薩摩ワンワールドの不自由さは
西郷なき後の総長を吉井友実から(樺山資紀)高島鞆之助にするところにある。
そして、杉山茂丸をその伝令士にするから無理がある。

私見ですが、高島鞆之助は薩摩型のフランクなタイプで
杉山とも昵懇の関係だったとは思うのです。
しかしそれは杉山にとって長州の鳥尾小弥太と同類レベルだと私は考えます。

たしかに落合氏が指摘するように
策士・杉山茂丸は長州人に対しては様々なアプローチをしているが
薩摩人には皆無だったとわたしも感じます。
日本興行銀行設立の件での松方正義ぐらいですからね。

一介の無名な青年が政財界の要人と面談して影響力を与えられるか?
という落合氏の疑問は現実的ではありますが、
その現実は現代の現実的な尺度であって、
100年前の日本人の価値観には適応できないと思うのです。
(落合氏が例に出した笹川良一後藤新平の紹介状の添書が好例)

幕末や明治人の魅力がそこにある。

わたしは、樺山資紀や高島鞆之助に対しては
薩摩人的な美徳を感じますが、それはトップに立つものではない。
黒田清隆でさえも後継者にはなれなかった。

そいった人物が児玉源太郎後藤新平杉山茂丸という
明治が生んだ傑物の「黒幕」である説に無理があるのです。
落合氏はそのことを児玉ファン、新平ファン、茂丸ファンには、と
気を使ってはいるが、贔屓云々ではなく論法に無理が生じて
ひいては落合氏の考察すべてが破綻しかねない危険を孕んでしまう。

杉山のスローガンは「一人一党」です。

もし、仮に杉山のバックに薩摩ワンワールドがあるのならば、

京釜鉄道の資金調達を肥前島原藩の小美田隆美に頼ったか?
しかも無断で小美田の邸宅を銀行担保にして。
このとき、杉山は高島にも相談にいっているが貧窮して話にならなかった。
そんな頼りない首領ではだめではないですか。
また、伊藤博文の政友会立ち上げの資金も杉山は小美田を頼った。

これも、カモフラージュだったとするか
それとも、京釜鉄道や政党政治は英国・薩摩ワンワールドに意に反する
ものだったのか?


もう一件。
その後の薩摩ワンワールドの首領を上原勇作とるとして
諜報活動を主体にしていきますが、だったらなおのこと

なぜ、吉井(もしくは大久保)からの後継者を高島ではなく
川上操六としないのか?

彼ほど、それに相応しい人物はいない。

杉山が伊藤博文暗殺未遂直後に会ったのが西郷の後継者といわれた
黒田清隆です。その紹介で井上毅と会う(熊本ライン)

また、西郷従道と川上操六とも意見交換をします。
これは支那事情の教師だった盟友・荒尾精のルートだと考えます。
荒尾は川上の配下の軍事探偵ですからね。
ここに陸奥宗光を入れて日清戦争推進秘密結社が生まれる。

この、日清戦争までの実力者は川上操六をおいて他に考えられない。
なぜ、薩摩の至宝・川上操六をスルーするのか?
(年齢的な問題か、それによる空白か?)

そして、海軍の山本権兵衛の存在。

この二人の薩摩人は組織のトップに立てる資質の持ち主であり
また、その実績を残した傑人です。
川上はプロシャ主義軍事探偵組織(参謀本部)を
山本は英国式海軍を

落合氏は時折その論文で彼らを登場させますが
用事がすむとまた引っ込めてしまう。
この二人は落合論文では辻褄合わせの脇役であって、
主役は絶対に高島鞆之助でなければならず、その後継者は上原勇作となる。
(その理由のひとつにこの二人には藩閥を否定したことにあると思う)

上原に対してはわたしもそう異議はないのですが、
高島に対しては認められないのです。



分類は「若宮」
明治男前烈伝(10)堀川辰吉郎(13)近現代史のなぞなぞ(3)
高島鞆之助を薩摩ワンワールド総長とする疑問(3)

日清戦争までで考えれば
(川上操六・西郷従道陸奥宗光 荒尾精+杉山茂丸(末席))
が日本ワンワールドのメンバーであり、
日露戦争に至れば
児玉源太郎杉山茂丸 それに桂太郎が後で追加された)

本日の主旨は
(1)高島鞆之助は薩摩ワンワールドの総長ではない。
(薩摩ワンワールドという位置付けも疑問が残りますが、別項で取り上げます)

(2)杉山茂丸は薩摩のヒモではない。
  「一人一党」をスローガンに国事を道楽にした。

(3)川上操六を引き継いだのは児玉源太郎