あかんたれブルース

継続はチカラかな

この世で最強のものとは



ということで、時間軸の検証から英国商人シーワンと出会う以前に
杉山茂丸
佐々友房の熊本ルートと後藤象二郎の土佐ルート、荒尾精からは政府要人ルートを拡げていった。

伊藤博文日清戦争講和に杉山に会ったのは
最初の出会いから10年経て、杉山のこういった人脈形成と
また同郷の金子堅太郎が伊藤の秘書だったことも影響したと考えます。
すでに、山県ともルートがあって天佑侠の資金も出させている。
(それ以前、10年前に徒手空拳の杉山に伊藤は会っているわけです。)

また、日清戦争講和で遼東半島領有に反対したことに
(三国干渉を引き出す危険を示唆して)
落合氏の分析ではとても一介の書生にそんな発想が生まれるわけがなく
これは在英ワンワールド地政学的観点から知恵をつけたとしているが、
この発想こそは
杉山茂丸の盟友で支那事情の師匠でもあった
荒尾精のもの以外なにものでもない。

荒尾は日清戦争を『義戦』と位置付けた。
「この戦争により腐敗堕落した清朝が倒れ、
 開明的な人々による新たな中国が出現し、
 圧迫されていた民衆が解放されることになる」(『対清意見』)

綺麗事の大義名分ではありません。
そして、日清戦争に勝利して講和条約交渉に入ったときには

「日本政府の清国に対する領土割譲要求や賠償金の要求を厳しく批判する。
 日清戦争が義戦であった以上、いくら犠牲を払ったとはいえ
 領土割譲や賠償金は絶対に要求してはならない」

と政府を強く批判している。
杉山は朝鮮の有志との交際などから日清戦争の必須を導いたのですが
荒尾の影響は大きかったと思います。

とにかく、英国人に知恵を借りなくても
ちゃんと先を読める日本人はいたわけだ。これを言いたいかった!
彼らの基本戦略は「支那保全」でした。
それほどに、当時の清国、李朝朝鮮はフラフラいい加減な国だった。
植民地諸国はなおのことです。

それを対岸の火事とするには
あまりにも危険極まりない国際情勢及び日本の安全保障があったわけです。
これは不平等条約改正以上に重要な問題。だと思いませんか?

無位無冠の杉山茂丸であるけれども、
荒尾精だって軍歴を離れたたかだか元大尉ふぜいです。
肩書きじゃないんだよ。

利権とか損得じゃ無理なのです。その費用対効果を考えるまでもなく。
(でなければ、岸田吟香の援助をどうやって受けられたのか?)

杉山と荒尾の関係こそが、彼らの人間性の魅力であって
エロティズムである。そのチャームこそが杉山の最大の魅力だったと考える。
また、明治人は頑固で荒くれだったけれど
こういったものを感じ痺れる感性と価値観を持っていた。

だけさ。

これが、いまの日本人の感覚や常識や価値観と違うのです。

明治人がただ清廉とか健全とかじゃなくて
こういった環境や価値観、その志がすべての理由です。
ゲスのカングリというと言葉はよろしくないが
人間の行動の動機に利権や損得ばかりを持ち出すと
いまの永田町やら勤め先や関連会社の読み解きにはよいかもしれませんが
近現代史を読み解く場合には罠に陥る。
比較はいいけれども、自分たちと同じように考えては
彼らに失礼ってものですからね。
これが、戦後ジャーナリズムの前後民主主義というもの貧乏根性であり
不自由さでもある。

英国ワンワールドがあろうがなかろうがさほど関係はないと言い切っていい。


杉山含めて、明治の漢たちはバカかもしれないが
とても素敵なバカなのです。
そういった、死を恐れない者ほど
恐いものはありませんからねえ。



分類は「若宮」
明治男前烈伝(10)堀川辰吉郎(13)近現代史のなぞなぞ(4)
杉山茂丸の存在の捉え方(2)