あかんたれブルース

継続はチカラかな

ニッポン覚醒カンフル剤



この出口一族、上田(王仁三郎の実家)一族、ならびに
上原勇作と「陸軍の裏側を見た」とする手記を残した吉薗周蔵は
ある特殊の一族なのだといいます。
(それがサンカなのかどうなのかは私はわからない)

その特殊な能力が超能力のようなものなのか予言呪術的なものなのか
もわかりませんが忍者もこれらの仲間みたいなような感じのようです。

そういった超能力とは別にして「知識」「技術」が受け継がれている。
そのなかに「芥子(ケシ)栽培」による阿片の製造加工があったと。
阿片というと物騒なイメージですが
医療用として麻酔や滋養強壮や特効薬として活用される。
現在でもモルヒネなどに使われますよね。

明治までこれは輸入にたよっていましたが、
殖産事業としてどうしても国産にしたかった。

わたしが想像するに、2つのケースがある。(すこし時間は前後幅を広げて)
阿片戦争以来の清国の阿片中毒者が蔓延して国難に陥っていました。
これは阿片を快楽現実逃避のみに使用したものですが。

日清戦争後に台湾を手に入れた日本は、児玉源太郎総督時代に
民政長官の後藤新平によって阿片撲滅を50年かけて実行達成させる。
彼の専門はドイツで学んだ保健衛生学ですからね。
また、杉山茂丸の一番弟子星一が星製薬を創業させて成功させたのは
台湾の阿片による医薬品事業です。
台湾銀行の潤沢な資金は砂糖と阿片によるものです。
後年、後藤新平の政治力を弱めようとその資金源である星製薬が
標的にされるのもそんな事情からです。

もうひとつは大東亜戦争などの戦費軍資金を阿片に頼った。
これは佐野眞一の『阿片王』にもありますが
阿片は、中国国内での需要もあって
金より軽く持ち運びが便利で、紙幣よりも信用があった。
それと、第二次大戦下でそれまでの中東ルートの阿片がストップした
ことにもあります。

明治の話と昭和の話であれですが
とにかく阿片栽培が非常に重要だったわけです。
台湾や満州国での阿片栽培が。

日清戦争を日本の侵略戦争の先駆けと思い込んで叫ぶ知識人は多いけれど
ひとつはこれまで記しているように「不平等条約改正」と
東アジアの植民地の解放にあった。と、もうひとつ
日本の貿易不均衡の是正にあった。
日本は資源が少なく、また技術や産業も途上で輸入にたよりながら
産業の発展近代化を押し勧めていましたが、それを売る市場が必要でした。
領土を欲したというよりも市場をもとめて貿易のバランスをとりたかった。

朝鮮、台湾、中国との貿易の重要性がそこにありました。
なぜ、児玉と杉山が対ロシアではなく南進論から
廈門に経済進出したかったか?
治安維持やインフラ整備を余儀なくされる植民地(設備投資が優先される)
よりも、まず経済の充実からはじめたかった。
だから、そんな難しい遼東半島なんかに首を突っ込むことに杉山は反対した。

ということですね。

また、古くは日本の海外貿易では売るモノがなかった。
遣隋使遣唐使の頃は「刀」です。
現在では美術的な価値はあるけれど、はやい話が「武器」です。
中国としてはそんな物騒なものを売り込まれても迷惑なのだ。

時代は移って、開国明治になって、さて売るモノは?
金とか、陶器とか、せいぜい絹製品ぐらいです。
金っていっても限りがあります。
陶器は逆に朝鮮・中国のほうが優れている。
島津が技術者を拉致して薩摩焼きを世界に認めさせのに200年要した。
殖産といっても大変なのですな。

日露戦争のときには黄金もない。
ないからゴールドラッシュのガセネタが飛んで、
(東大の渡辺渡先生から)みんな信じて日露戦争の踏ん切りがつきますが、
ガセはガセ。

坂の上の雲』でも桂太郎から「金鉱発見」の電報が届くシーンが
ありますよね。大山巌は相手にしませんが(笑)。
結局、日露戦争高橋是清の日本債公募つまり借金で賄った。

満州事変、支那事変、太平洋戦争は金でもなく借金でもなく
阿片に頼った。わけです。

まだ、トヨタも日産もホンダもカップヌードルもアニメも
世界に通用する商品を生みだしていない
頃の話です。

ドクニモクスリニモナル劇薬。




分類は「若宮」
明治男前烈伝(10)堀川辰吉郎(13)近現代史のなぞなぞ(12)
使用上の注意をよくお読みください。ぴんぽ〜ん(満州国殖産宣伝罹長・押尾学中尉)