あかんたれブルース

継続はチカラかな

国学、史学、宗教、そして戦争と平和



ということで昨日は
ファン限定記事ですみませんでした。

で、なんでわたしはこんなに大本教を嫌がるのか、な、と。

もともと宗教自体が好きじゃない。
ましてや新興宗教

幕末、明治には神道系の新興宗教が跋扈跋扈誕生しました。
とくに岡山県
幕末三大新興宗教とは天理教(奈良)、黒住教(岡山)、金光教(岡山)で
大本教は最初は金光教の一部から出発。本拠地は京都は綾部。

江戸中期から幕末にかけて一大カルチャーブームがありました。
剣術もそれだし、算術、天文学国学歴史学)などなど
この国学が和製中華思想とリンクして尊皇思想に発展していきます。
本居宣長とか妖怪ハンター平田篤胤とか
作家で『破壊』で有名な島崎藤村もその系統です。
これらの国学者明治維新をまた別の意味で期待していた。
ところが、彼らの思いと現実にはギャップがあったようです。

まあ、難しい話は別にして
たぶん、わたしにも宗教とか教団、宗教家とか教祖に対する
偏見や固定観念があるのでしょう。それは認める。

その意味で、大本教出口王仁三郎がブ男だってところがある。
出口王仁三郎片岡孝夫とか美輪さんだったら違ったかも、しれない。
なんか出口王仁三郎は駅前のパチンコ屋に朝10時前に並んでいそうだし、
浅草の場外馬券売り場の向かいの飲み屋で煮込みをすすっていそうだから、
なのかもしれない。

それと、性格が陽気というか手八丁口八丁でフランクでお茶目で軽い。
寡黙で落ち着きがないようなイメージです。そして駄洒落好きとくる。
ね、偏見に満ちてますよね。

竹内文献の天津教、竹内巨麿もなんかそんな感じでした。

まあ、面白いネタではあるのですが、一歩距離を置かないといけない
危ネタなのです。

ところが、杉山茂丸堀川辰吉郎が結ばれるにあたって
どうしても無視できなくなってしまった。さあどうしたものか。
また、落合論文には大本教について色々紹介されている。
その真偽はともかくと、無視できない。

というのは近現代史に宗教の存在はとっても大きい。
日露戦争が終わってこの傾向は非常に大きくなりました。
旅順攻略の第三軍にあって第七師団長の大迫尚敏の実弟
最初から旅順攻略に参加していた野砲旅団長大迫尚道少将(のち大将)は
戦後、陸軍の日蓮宗布教の団長的な存在になります。

大本教もこの頃、陸海軍に浸透していきます。
坂の上の雲』の秋山真之が入信を囁かれるのもこういったところから。
日露戦争後の軍隊は組織化官僚化していきますが
同時に天皇思想とは別に自己のアイデンティティーを信仰宗教に求める。

それ以前も西本願寺の大谷光端などが深く軍部と関わっていますが
それとはなにやらニュアンスが異なる。
異様な感じです。

満州事変の立役者石原莞爾日蓮宗だったの有名な話です。
中公文庫に128頁税別552円で石原莞爾著の『最終戦争論』という薄っぺらい文庫本があります。
前半は石原節の人類の戦争歴史論で、後半は日蓮の預言をもとにする
世界(東西の)最終戦争を説いている。

石原莞爾はこの時代の天才ではあるのですが、
彼は宗教からそれを最終と銘打って「戦争」と結びます。
これに対して、堀川辰吉郎は宗教を重要視して「平和」に結んだわけです。
が、軍部は、とくに参謀本部とかは、宗教とか平和とかは論外だった。
ついこの間までの劣等感からエリート意識が跋扈跋扈です。
官僚も政治家も国益利権に目を血走らせています。
どっかーんと中国の攻めていきました。さようなら

こういった勢いには良識派の無力。天才石原莞爾もダメです。
結局「天皇」という名を出されるとみんなあがらえない。
そんあこんなで太平洋戦争、そして敗戦なのですが

話は大本教出口王仁三郎だ。
大本教はこの間に三回の大弾圧を受けているのですが
弾圧を行ったのは政府とか軍部からであって
大本教出口王仁三郎が特に戦争を煽ったとか悪いことをした
わけじゃない。

それなのに、わたしは
出口王仁三郎の下品な顔と駄洒落と雰囲気で・・・
ごめんなさい。とくに入信したいとは思わないけれど、
トチ狂った鼻持ちならない参謀たちや官僚たちよりマシよマシ。

というおとで、タブーついでに
出口王仁三郎よりもっと胡散臭い神様を紹介してみます。
これはまだ落合氏も紹介していないようです。

その名は怪人・飯野吉三郎。



分類は「若宮」
明治男前烈伝(10)堀川辰吉郎(13)近現代史のなぞなぞ(15)