オカルトカルト明治のチョコタルト
これが飯野吉三郎。どうです、だらしない顔しているでしょう(笑)
日本のラスプーチンとかいわれた怪人。
わたしが知ったのは志茂田景樹(汗、なんか軽いな)の『花の嵐』
http://page9.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/k119978631
だったと思います。
この本は「明治の女帝・下田歌子の愛と野望」という内容で
その後半で下田歌子と肉欲を貪る愛人として登場するのですが・・・
なんか宮城谷昌光の『奇貨居くべし』最終巻「天命篇」にでてくる
長信侯(ろうあい)を連想しました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%82%A6%E3%82%A2%E3%82%A4
あまりの巨根で、それに馬車の車輪を取り付けて移動していた(爆)。
中国の表現はなんというか・・・
で、この飯野吉三郎と下田歌子の関係も当時の新聞に
赤裸々に露骨に、まるで見てきたようにかき立てられます。
それを出典もとにしたのでしょう志茂田景樹先生も過激に描写します。
「あなた〜素敵よ〜日本一世界一」
「おまえも素敵だ最高〜日本一世界一」
でもね、明治のジャーナリズムって信用できない。
大新聞は小新聞に破れ、ほとんどが日刊ガンダイのような感じです。
それは「萬朝報」の変遷をながめるとよくわかります。
最初はよかったんですけどね、なんせ売り上げ次第ですから。
歌子は伊藤博文と関係してその権勢を確立したって噂、設定ですから
呂不韋=伊藤博文(始皇帝の母親・太后と長年不倫関係)
太后=下田歌子
長信侯=飯野吉三郎
という図式だったんでしょう。きっと
かといって飯野吉三郎もそう立派な人格者(世間一般の常識に照らして)とは
いえない。
>白木屋事件、旭事件などの詐欺事件に荷担していたとされた。
(ウィキペディアより)
であり、自宅には複数の愛妻とその子供達とハーレム生活をおくっていた。
その愛妻とは下田歌子の女学校の生徒であり、
その手引き段取りをしたのが学校長の下田歌子だっていうところが
なんともはや(汗)。です。
わたしが飯野吉三郎に注目したのは
>児玉源太郎の依頼に対し、日本海海戦での勝利を時間場所まで正確に当てた
(ウィキペディアより)
の記述です。
そして、奉天会戦の作戦も飯野が授けたもいう。
あれは松川敏胤作戦課長が捻った一か八かの危険な作戦だったはずなのだが・・・
なによりも、民間人の飯野吉三郎が南満州の日本陸軍中枢部に出入りしていた
というのが気になりました。
で、調べたのですが、どうも本当に戦時中に大陸に渡っている。
それと、飯野を贔屓にしたのが山県有朋だっていう点が非常に気になる。
あの山県が・・・
なんか胡散臭くなってきた。なんなんだろう
それを確認しようにも資料がありません。ネットじゃ無理みたいです。
で、『穏田の神様 飯野吉三郎の風影 』飯野官吉/著
という本を入手しました。
著者が飯野という名字なので血縁関係者の提灯本かと思って躊躇したけれど
まあ資料だからいいや、と割り切って。
ところが、この本。とてもしっかりした内容なのです。
飯野官吉は当時の資料と照らし合わせてきちんと整理している。
決して飯野吉三郎をヨイシヨした内容ではない。
そこいらのトンデモ本とは違うので非常に関心したものでした。
そして、児玉源太郎も非常に飯野を信頼していたこと。
あのリアリスト原敬でさえ、飯野を否定していないのだ。
といった事実にふれて考えてしまったのです。
時は日露戦争とその後のシベリア出兵・・・
国家存亡の危機にこのようなヤマ師同然の祈祷師に
国家中枢の要人達が・・・
近現代史が宗教からオカルトカルトのにぎわいです。
分類は「若宮」
明治男前烈伝(10)堀川辰吉郎(13)近現代史のなぞなぞ(16)
謎を解くカギを求めてすこし旅を打ちます。
続きは週明け