あかんたれブルース

継続はチカラかな

スケベ予言者の説得力



なにが一番不思議かというと飯野吉三郎を伊藤博文
是非会ってくれと紹介したのが山県有朋だってことです。

古今東西の政治家や実業家のトップが占い師や霊能力者を
頼っている例は少なくありません。

伊藤博文には実業界を引退して高島易断を創設者である高島嘉右衛門がいた。
そのせいなのか山県の紹介を迷惑がっていたようです。
一説には飯野を伊藤に引き合わせるのには愛人(?)下田歌子
山県を動かして強く求めたとされますが、
しかし下田が伊藤の愛人だったならばそんな回りくどいことをしなくても
直接頼めばいいのでは?
伊藤と山県はさほど仲良しさんでもないわけですし・・・

いや、それより山県のような超リアリストが飯野を信じるなんて(汗)。
この山県という男は若い頃苦労貧乏を舐め尽くし他人に借りを作ったり
弱みを握られることを嫌います。
その発言も慎重でその場では絶対に態度を表に出さず、
時と場所をかえて使者を通じて内密に使者を送る。
すべては証拠が残らないため、そして責任回避のためです。

山県が飯野を知ったの誰からでしょう?
下田との繋がりは同郷(美濃国(現岐阜県))という点ですが
後の陸軍大臣大島建一も同郷です。これかな?
ただ、大島は同郷の先輩というだけで飯野の白木屋事件で呆れていましたし、
さほど飯野を信奉していた感じじゃない。

まあなんにせよ、山県はある時期まで非常に飯野を信じていた。
この超現実主義者を信じさせたということは
よっぽど凄い予言の的中をやったのでしょう。

そして、児玉源太郎も信じていた、というのも不思議。
飯野との往復書簡や、陸軍の残飯の鑑札も与えられています。
明治の頃は貧しくて軍から出た残飯はリサイクルとして
庶民の重要な食料源になっていた。これは結構な権益だったそうです。

奉天会戦の勝利を現地までいって(作戦)勝利を予見したとありますが
この会戦は大苦戦で作戦自体は危ういものでした。発案者は松川敏胤作戦課長。
そう自慢できる作戦でもない。色々な幸運がありました。天佑というか・・・
ひとつは弱小軍団川村鴨軍団を死兵乃木軍団と誤解した。
けれども、もともと戦力が違うのでロシア軍が勝ってもおかしくない。
所謂、日本軍の粘り勝ちです。敵将クロパトキンの完全主義の誤算かな。

それともうひとつ、決戦の勝敗を決した日に春一番が吹いた。
この黄塵が追い風になった。まさに神風です。
ちょっと神秘的ですよね。
この風を飯野が予言したともいいます。
まるで『三国志』の諸葛亮孔明の天文気学の祈祷のようです。

そして日本海海戦の日時と場所をピタリと当てた件。
実際にそれを参考にしていれば海軍はあの時に
太平洋ルートか日本海ルートかであそこまで悩まない。まあいくらなんでも
祈祷師の言う通りに待機していられるわけはないのでしょうが(汗)。
ただ、決断を迫られたときに東郷平八郎の決断にそれが過ぎった、
かもしれません。

わたしが奉天会戦の「黄塵」に神秘を感じるのは
その海戦の場所が「九州西方海域203号地点」。
日露戦争の勝敗の行方に大きく影響した旅順の二〇三高地
奇しくも同じ「203」。
飯野が「203号地点」という専門用語を使ったかどうかはわかりませんが
なんとも奇妙な一致で、ずっと前から飯野の予言を知る前から
不思議なものだなあと感じていました。

駄洒落といえばそれまでですが、
大本教出口王仁三郎も駄洒落王でしたからねえ(汗)。
言霊といえば聞こえはいいですが・・・

競馬のケントク買いのようですが、あれもなかなかバカにできません。
母の日に8-8が来るとか、113回天皇賞が01-13番で決まるとか
これは農林水産省の陰謀説ですけどね。

日露戦争特に海軍戦では、こういった不思議がたくさんあったそうです。
それを天佑と表現していた。
そして戦後、秋山真之は神秘的なもの惹かれていきます。
こういった体験が元寇の神風神話と重なって
本気で頼ったりすると大変なことになるのは問題ですけどね。

ま、とにかく、
山県や児玉が信じたわけです。
で、奉天会戦日本海海戦の予言も当たった、ってことにしましょう。

で、本日のまとめは・・・

スケベでも予言は
当たる。



分類は「若宮」
明治男前烈伝(10)堀川辰吉郎(13)近現代史のなぞなぞ(19)