あかんたれブルース

継続はチカラかな

孫文の約束手形と明治っ子純情



もうすぐ上海万博だそうです。
なにかと政治外交でプレッシャーをかけてくる中国ですが
この中国が、満州民族「清」から独立するにあたって
日本・日本人から多大な協力支援があったことはすっかり
忘れられているような・・・

  中国(共産党)は日中戦争と勝利を謳うけれど
  日本は中国共産党赤軍)と戦ったのではない。
  国民党と戦ったのです。
  その漁夫の利を獲たのが中国共産党であり、
  国民党は台湾に逃れた。
  かつて戦った国民党、かつて植民地だった台湾と日本の関係は良好なのに
  中華人民共和国(中国)との関係が微妙。

  いえ、日中戦争の善し悪しを言っているのではない。
  そんなの良くないに決まっている。
  でも変だとは思いませんか?

それでも中国にとって孫文は偉大な革命の父です。
満州民(女真)族に支配されていた漢民族を解放したわけですからね。
「倒満興漢」のスローガンを叫んで

この孫文を多くの日本人が援助していたわけです。

梅屋庄吉
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A2%85%E5%B1%8B%E5%BA%84%E5%90%89

宮崎滔天
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E5%B4%8E%E6%BB%94%E5%A4%A9

頭山満犬養毅、そして堀川辰吉郎もそのひとり。

なかでも頭山は中国、朝鮮だけでなく
フィリピンやインド独立にも積極的に応援していた人物です。

19世紀から20世紀の東アジアは欧米の植民地だった。
英国、フランス、ドイツ、ロシア。
米西戦争でスペインに勝利したアメリカは植民地フィリピンを獲て
これに参加した。
日本はロシアの脅威同様にこういった緊張を余儀なくされていたわけです。

この時代、環境にあって外国の革命を支援した日本人には
3つのタイプがあるといいます。

1)一切の打算抜きでヒューマニズムの結びつきで奔走するもの

2)国益を考えてのもの

3)私利・私欲によるもの

くっきり3つに分類は難しいでしょうが
前記の梅屋庄吉宮崎滔天に関してははっきりと(1)と言い切れる。

頭山満はどうだろう? 1)が6、7割で、2)が3、4割でしょうか。
玄洋社の平岡浩太郎も黒龍会内田良平杉山茂丸もそんなところかな。
つまり、理想と現実が一致していたのでしょう。

公務員である軍人でいえば、川上操六や児玉源太郎
2)ですが、児玉には若干の1)もあったとは思います。
これが児玉の甘さといえば甘さですが人間味あふれる魅力でもある。
軍事探偵だった荒尾精や石光真清にもそれはいえます。
対して、小村寿太郎などは消極的でした。
諸外国からの干渉を恐れたのです。立場姿勢は違っても彼も立派な
国士、公務員です。日本のことを考えていた。

3)は大倉喜八郎とかかなあ・・・とすると大倉に怒られそうそうです。
彼にも2)やひょっとすると1)も若干はあったかもしれない。
3)にあたる官僚、軍人、企業家はたくさんいる。
名前をあげてもキリがないしつまらない。おおわくこんなものです。

孫文はこういった多くの3)のタイプの人間
(日本人だけでなく同胞の中国人も含めてですよ)たちと交渉して
援助をもとめなければならなかった。

ここに、孫文の「約束手形」の乱発がありました。

もし、革命に成功すれば・・・
あなたにはこんな利権を与えましょう、この土地を与えましょう・・・
とかね。

革命には「お金」が必要でした。
武器も必要です。すべての力を駆使しなければ革命は達成できない。

「革命が成功したならば満州を日本にくれますか。
 それで東洋の勢力の均衡がとれましょう」

孫文下田歌子の援助を求めたさいに提示された条件です。
はたして、誰が歌子にそれを言わせたのか?
それともそれは当時の日本人なら誰でも考える共通認識だったのですよかね。

孫文は躊躇なくそれを了承しました。
満州は中国の外、その時中国を支配していた女真族の地です。
孫文にとって満州など興味はなかった。
けれども、後に孫文はこの約束を反故にします。

孫文約束手形は空手形。

色々問題はあるでしょうが海千山千の人間が寄り集まって
歴史は動きます。

それでも、1)にあたる日本人はたくさんいたのです。
たとえ、2)であっても
決して3)ではない人間がたくさん奔走した。




分類は「若宮」
明治男前烈伝(10)堀川辰吉郎(13)近現代史のなぞなぞ(25)

陰謀陰謀というけれど、それだけでは人間が動かない。
利権だけでは動かない。
人間を熱狂させるのは理想とかロマンとかのエロティズムである。
そういった人間が歴史をつくっていることを忘れてはいけない。
わたしは決して1)の人間たちが孫文に利用されたとは思わない。