あかんたれブルース

継続はチカラかな

昨夜の「プロジェクトJAPAN」に想う



昨夜、NHK総合テレビ夜9時から「プロジェクトJAPAN」で
伊藤博文安重根が取り上げられていました。

少し前に没100年祭がニュースで紹介されていた。
安重根は、韓国では英雄だそうです。

伊藤博文日韓併合の象徴的な人物。

日本でさえも、伊藤博文は・・・

番組内容は痛し痒しのモヤモヤさんでしたが、
伊藤が必ずしも日韓併合を積極的に押し進めたわけではない、
違う選択肢も模索していた資料が発見され
彼が現実的な平和主義者だったことをコメントとして紹介していたので
救われた。

番組で伊藤と高宗(大韓帝国皇帝)の交渉会談の記録が紹介されていました。
記録をそのまま朗読するので、端的すぎて冷たい響きとなって伝わった。
伊藤の言葉が高圧的にも聞こえました。

ウィキペディアに伊藤の死去に対する高宗のメッセージがある。

「日本に政治家多しといえども、
 伊藤のように世界の大勢を見て、東洋の平和を念じた者はいない。
 実に伊藤はわが国・韓国の慈父である。」

これを単なる社交辞令とするか? するんだろうねえ(涙)
この発言は日本の影響下にあった頃のもので
「韓国の史学系では正当な時代評論的価値は認められていない。」そうです。


けれども、当時、伊藤が韓国の良き理解者であった事実は曲げられない。

その証言者としてお雇い外国人(ドイツ)のベルツ博士の言葉が
的確に捉えていると思います。

「韓国人が(伊藤)公を暗殺したことは、特に悲しむべきことである。
 何故かといえば、公は韓国人の最も良き友であった。
 日露戦争後、日本が強硬の態度を以って韓国に臨むや、意外の反抗に逢った。
 陰謀や日本居留民の殺傷が相次いで 起こった。
 その時、武断派及び言論機関は、高圧手段に訴うべしと絶叫したが
 (伊藤)公ひとり穏和方針を固持して動かなかった。
 当時、韓国の政治は、徹頭徹尾 腐敗していた。
 (伊藤)公は時宜に適し、かつ正しい改革によって、
 韓国人をして日本統治下に在ることが却って幸福であることを悟らせようとし、
 六十歳を超えた 高齢で統監という多難の職を引き受けたのである。
 (伊藤)公を泰西の政治家と比較するに、
 (伊藤)公はビスマルクの如く武断的でなく、
 平和的であったことはむしろグラッドストンに類するところである。」
                      エルヴィン・フォン・ベルツ

『当時、韓国の政治は、徹頭徹尾 腐敗していた。』
を、韓国は認めない。日本人の多くが、それをそうだとしてもだからといって
植民地支配するとは言語道断としている。しかし、伊藤は、そのなかにあって
『ひとり穏和方針を固持して動かなかった。』

その伊藤を「韓国人」が暗殺したことに悲劇がある。

また、当時の日本のアジア政策が一枚岩でなかったところにも苦肉を感じます。
出発点は日韓「併合」じゃなかったんだ。「合邦」だった。
欧米列強からの圧力を阻むには清国と朝鮮の独立が絶対条件だった。
清国は腐敗し、国を維持する力がなかった。
その中国自体(漢民族)が満州民族に支配された植民地だった。
韓国も自国を統治する力がなく清国に、それからはロシアに依存する
自ら属国となって生きながらえようとすることを選択した。
これはそれぞれの優劣ではなく
時代、歴史と地理的な問題が大きいと思います。

そして、時代には流れがあります。
その流れには杉山茂丸でさえも、後藤新平でさえも、
どうすることもできなかった。大きな潮流のまえにはたとえ英雄的な人物でも
非力なものです。
せめて、児玉源太郎が存命だったら、また話は違ってきたかもしれないけれど
すでに児玉はいない。

少数派と多数派の逆転。
わずかな、ほんの一人の喪失がそのバランスを崩した。
児玉源太郎一人が欠けただけで、バランスは崩れた。わたしはそう考える。
日本にとって大きな損失だったと思う。

荒尾精は叫んでいた。

「アジアの保全

しかし、歯車は狂っていき、やがて破綻してしまう。




分類は「若宮」
明治男前烈伝(10)堀川辰吉郎(14)上原勇作疑惑(4)
蔓延した自虐史観を否定するだけではなく、
もう一歩踏み込んで歴史をみつめてみることは、重要だと思う。