あかんたれブルース

継続はチカラかな

ヒーローではなく、一人の人間として

イメージ 1



先週、自由人さんが残してくれたコメントの
「夢とロマン」について

これがとても大きなキーワードなのでみっちりツッコミたいと思います。
テキストは「杉山茂丸」なんだけどさ(笑)。
でもね、これが自由人さんの「ベーシックインカム」にも
ロマン議長の「革命」とも連動することなんだと思う。だからやります。

先日、ある出版社に「杉山茂丸」企画を持ち込んだ。
キャラクターの魅力は理解させるのですが、
その後にくるのが「危険性」と「消化不良」です。
担当者の顔は難しい・・・
こりゃここもダメ筋かなあ〜と、わたしは遠い目をしたよ(涙)。

そこでさ、担当者がこんな質問をしてきた。
「杉山の目的ってなんだったんですかね?」

意外な質問に暫し言葉を失ってしまった。
確かに、杉山の行動や足跡は凄い。魔人であり超人である。
その凄さ、ダイナミズムに目を奪われて
なんとなくは理解できても、杉山茂丸を一人の人間としてそこまで
考察していなかった。
いや、する必要がないと思っていたかもしれません。
この担当者曰く
杉山のキャラの面白さはわかりましたが、読者には
なぜこの主人公がここまでやるのか? その定義付けというか
目的の理由が必要なのだという。(これがわかりやすさなんだね)

その場で、頭をフル回転させて、まとめて口に・・・のどまで出かかって
やめた。
ちょっとお時間をください。一日考えた。


 杉山茂丸が誕生した元治元年(一八六四年)は
天狗党の乱、池田屋騒動、攘夷決行した長州藩と列強四国の下関戦争、
そして第一次長州征伐発令と物騒で激変の年であった。

 維新の嵐が吹き去っても「激変」は日本国を揺るがし続けた。
 明治四年の廃藩置県で武士は失職し、明治九年の廃刀令によってアイデンティティーを失う。

 そのなかに茂丸は幼年期を過ごした。
 そして、不平士族たちの神風連の変、萩の変、秋月の変と続き、西南戦争が勃発。
 それに福岡士族は呼応した(福岡の変)。

 しかし、まだ十三歳だった茂丸にとっては、ただ傍観するしかない。遅
 れて生まれてきた世代的な非力があった。
 ここに同郷の(一世代上の)頭山満らとのジェネレーションギャップと疎遠の理由がある。


(これがまず環境です)


 茂丸は自立を求めた。
 武士の子として生まれ、武士として生きる。「
 アイデンティティー」を求めたのだ。しかし彼には何もない。
 共同体としての藩もなく、
太刀持ち小姓として仕え「茂丸」の名を拝命した藩侯もこの地にはいない。
 資産も門閥も何もく追いつめられた末にこの青年が導き出した自分の在処は
壮士として一人一殺のテロを実行することだった。
 西南戦争終結で日本の内戦は事実上ピリオドが打たれていた。

 「打倒藩閥政治」に徒手空拳の茂丸が選択しえる唯一の方法論はそれしかなかった。
 ターゲットにしたのは長州閥の首魁・伊藤博文だったが、
その伊藤に諭されて、壮士の頭目頭山満の忠告を受けて、
 「壮士からの脱却」に至る。

 それを具現化させたのは香港で国際情勢と経済知識の吸収だった。
これによって「経済通」の志士と認められていく。



とまあ、そういうわけで
杉山は失ったアイデンティティーを取り戻したかったわけです。
そのスタートはテロリスト。つまり岡田以蔵だよね。
それが伊藤博文頭山満との邂逅によって
「龍馬」に変身する。

ここで、大きく杉山茂丸は変わるのですが、
その根底にあるものは同じなんだな。

こんな感じで考察を記事にしていきます。一、二週間お時間をおくれ。




杉山茂丸〜夢とロマン(1)