あかんたれブルース

継続はチカラかな

信じるれる事の意義



長州閥の領袖、陸軍の法皇・・・山県有朋

明治のどんな高官でも彼の前では平身低頭です。たとえば、桂太郎でも

その山県の邸宅の応接室の隣室に長椅子がある。
その長椅子に寝そべって昼寝をしている男がいた。
秘書(武)官の堀内文次郎や使い来た田中義一は畏怖して横目で見つめた。
この男は誰だ?
山県の家でリラックスして昼寝しながら屁をこく男、杉山茂丸

杉山は山県に取り入る茶坊主ではない。
山県は、そういう種類の人間を決して好まない。
一時期すり寄ってきた森鴎外に対してもそれは例外ではなかった。

イヤな人間の山県ですが、人を観る眼はあった。
福島安正にしても、児玉源太郎にしても、引き立てたのは山県でした。
余談ですが、山県の子分でイヤなスケベ男の寺内正毅が贔屓したのが秋山好古
意外でしょ。
この寺内が脚気問題で森鴎外に強く迫ったものです。

山県の汚点には保安条令で民権活動家を関東所払いにした事と
松方内閣で品川弥二郎内務大臣がやらかした選挙干渉の黒幕がある。

山県は民権民党嫌いでした。藩閥政治はよくない。これは間違いないことです。
しかし、では、民権家が正義か?というとそうでもない。
一括りにはできませんが、彼らもまた利権渇望家だったといえる。
なによりも、その頃の時代背景として日本の体制は脆弱だった。
杉山が、藩閥と同じほどに、民党を捉えて、一人一党を唱えたのはそのためです。

選挙干渉は政府方針に反対して二進も三進もいかずに立ち往生した
藩閥体制側の愚行でしたが(結果的に大失敗)、
その最大の動機は海軍の予算(軍艦整備)にあった。
この予算を通すことが、日清日露の戦役の勝利の必須であったことは確かです。

戦争はよくない。これは間違いないことです。

しかし、あの頃の時代環境でそれができたのか?
また、伊藤博文が常に戦争反対の平和主義者だったように、山県もまた
戦争に対してはおっかなびっくりで必ずしも確信犯ではなかった。
あの当時の施政者で戦争に諸手をあげて賛成だったものがいたのか?

例外は日清戦争の川上操六と陸奥宗光
日露戦争での、廈門事件以降の児玉源太郎とおまけで桂太郎ぐらいです。
山県は両戦役で、引っ張られていた。誰に?
たとえば、杉山茂丸に、です。

この一介の無官の男に、山県は影響されていました。
長州出身者ではなく、封印された福岡黒田藩出身者にです。

杉山茂丸は「人たらし」だったかもしれない。
山県は騙されていた?操られていた?ともいえなくもない。
けれども、それとは別に、山県は杉山を信じていた。

ここが、大事なのです。

この超現実主義者で、権力志向で、慎重な権力者が杉山茂丸を信じた。(飯野吉三郎も?)

現在では人を信じることをバカの証とするけれど、
疑うことは少し知恵があればできますが、
信じることはもっと大きな知恵が経験が想像力が志がなければできない。

信じるということは才能かもしれない。

山県有朋にはそれがあったわけです。
これは注目すべき事実として認識しておくべきだと思う。

人間には相性というものがあり、感情に支配されまた立場によってそれも異なる。
そのケースバイケースで好き嫌いをいってもそんなことは
茶飲み話や井戸端会議の次元を超えないし詮無きこと。

いま、わたしのマンションの隣室に山県有朋がいたとして
わたしは好んで付き合おうとは、決して思わないけれど
それは司馬さんが乃木希典という人物とあまり付き合いたくはない人物と
評したことと同じニュアンスですが、別に遠の昔に死んだ爺と付き合う必要はなく、
また司馬さんもそんなことを言ったわけじゃない。

たださ、あの頃の海軍の予算確保は山本権兵衛の悲願だったわけです。
山本権兵衛はある意味でヒーローと扱われる好漢だ。
西郷従道山本権兵衛の信頼関係も美談として、綴ることはわたしにだって
いくらでもできる。無理なく泣きながら書けます。

でもさ、なんか同じ目的だったのに、山県の場合はすっかり
汚れ役を一手に引き受けたようで、なんかね。

山本権兵衛西郷従道を信じたけれど、他は信じない。そういう現実主義者だった。
(子飼いの部下は信じたかもしれないけれど、東郷は信じようとしたけれど)
山本は、決して杉山を近づけなかった。
恐かったんだ。会えば、杉山を信じてしまいしょうになることを知っていた。
山本は、児玉源太郎に対しても怖れた。
ここに、山本権兵衛の限界をみます。原敬も同じ。

悪名高き、山県有朋ですがライバル伊藤博文さえも信じていた。それはね、伊藤も同じ。
こういったところに、幕末明治を生きた男の真贋がある。

杉山はそれを認めた。

自らを一介の武弁といった山県有朋
その戦術は立見尚文に笑われて、その戦略は川上操六から「この爺戦を知らん」と怒鳴られて、
その死を石橋湛山から「社会奉仕」と評された。けれども

杉山は認めた。

伊藤博文に比べれば一枚も二枚も落ちるけれど、杉山は認めたのさ。
他の誰が認めなくても、杉山茂丸は認めたのだ。

愛だよ。愛

一介の武弁、山県有朋
時には敵味方となっても個人の利害を越えて、信じることのできたこの人たちを
わたしはとても羨ましく思う。そこには愛があったなあ。

その愛を教えてくれたのが、わたしにとっては
杉山茂丸という腹黒いといわれるフィクサーといわれる人物でした。

その杉山が認めるならばと、固定観念を振り払って
山県有朋という人物を見つめ直したわけでした。


なんか長くなってしまった(汗)