あかんたれブルース

継続はチカラかな

息切れした職業作家



作家にとって、
長編より短編のほうがしんどいそうです。(池波正太郎談)
  長編は最初にセッティングする主人公が一人歩きしていく。
  このセッティングが大変なようです。つまり短編も長編もその手間は同じ。

また、作家の短編を読んでいると長編作品のエッセンスと出合えるものです。
池波さんにしても司馬さんにしても同じです。
司馬さんとよく比較される山田風太郎はエンターテイメント作家ですが
その作品は99%史実にのっとって、最後の1%にフィクションを挿入する。
これがとてもスリリングで彼を一流作家とする証でもある。

その意味で、八切止夫は人気売れっ子作家であったかもしれいけれど、
一流ではなかった。それは八切止夫自身も認めている。
というか、彼は作家として新機軸を捕らえたのだけれども、
息切れしたんだと思う。
膨大な出版点数ですが、その多くは再録再編集が多いのもそのひとつ。

もし、八切止夫が一流作家として足跡を残すのであれば、
その独自の史観を、小説家として、作品に仕上げなかったかが
とても残念に思うのです。

そしたら、筒井康隆とか、いや半村良の前に、SF時代小説家として
『紺碧の本能寺』とか『ふた生り葵』とか数々の傑作伝記ロマンを
世におくったやもしれない。

すこし厳しい指摘ですが、八切止夫はそこまで体力気力がなかった。

それでも、八切作品は楽しい
エンターテイメントのエッセイ集です。
八切止夫もそれを望んでいたのだと思う。
歴史ファンはそれを心得て、彼のフェイクを解く、という楽しみもある。
それは1%の山田風太郎よりも厄介なラビリンスである。



  相撲取りを国技云々と祀りたてるけれど、
  相撲は格闘技だし、昔は全国各地各藩にあったレスラーであり、
  興行であって、相場潰しのやくざの助っ人で
  火事と喧嘩は江戸のは花なら、その喧嘩は
  不良旗本と火消しと相撲取りのバトルロイヤルだったわけです。
  高杉晋作奇兵隊伊藤博文が指揮したのは力士隊だった。
  三代目山口組組長田岡一雄が斬ったのも相撲取りでした。

  歌舞伎役者もホストだったわけですし、
  新聞記者はブン屋、証券会社勤務は株屋、資生堂は薬局。
  弁護士には部屋を貸さないという時代だってあった。
  文筆家業人だってアウトローだったわけです。

  テレビを観ると白痴になると警告を鳴らした
  大宅壮一だって
  戦時中は従軍慰安婦所のマネージャーだったわけだ。
  テレビ云々よりもジャーナリスト自体が中国産餃子なのだ。
  だから、よく表示をチェックして腹に入れないと下痢するぞ。


なんだかんだ八切止夫を批判するような記事になってしまいましたが
わたしの主旨は八切史観否定ではなく、それをヒントにもっと真相究明を
やるぶんにはとても貴重な存在だと思う。
ついつい、八切史観と表記してしまいましたが、
当人がどこまでそれを意識したかは夢のまた夢。
八切止夫自身も死去して忘れ去られて、その後にこんなカタチで
持ち出されるとは想像しなかったかもしれません。

八切止夫のユニークさには「サンカ」考察があります。

「サンカ」については三角寛が有名ですが
三角は警察当局の聞き取り調査がベースで、それは柳田國男も同じだとか。
いわゆる又聞き、しかも官憲の。対して、
八切止夫の場合をユニークとするのは
彼自身が若い頃に共同生活を体験したというオリジナリティーがあるからです。
これは大きな彼の功績だと思う。

「サンカ」については、またあとで再び、記事で取り上げますね。