あかんたれブルース

継続はチカラかな

嫌な感じの怨念




その人の、人間個人の価値観や人生観といった姿勢は
その人が経験した、体験したことが大きく影響すると思います。
世代間格差、いわゆるジェレーションギャップというものが存在するときに、
「戦争」を体験したか否かは大きな要因です。

わたしが師匠と仰ぐ笠原和夫(『仁義なき戦い』の脚本家)は
大正十五年生まれで戦争に行った人です。(戦地にはいっていない)
彼は、独特の社会観をもっていますが、
戦争の嫌な体験から、天皇への戦争責任を強く持っていた人でした。

司馬遼太郎福田定一として戦車隊の小隊長として戦争を体験した。
司馬さんが感じたのは軍隊という組織に対する嫌な想いだったと思います。

反戦とか、反天皇といった感情は
戦前派の人のほうが強いものです。
これは、戦後の云々ではなく、彼らの体験からのもです。

なかには、三船敏郎のように、弱い者イジメをする上官に楯突く
反骨漢もいましたけどね。玉音放送を聞いて万歳したそうです(笑)

八切止夫は兵隊にはならなかったけれど、戦争の嫌な部分を観たようです。
そして、終戦時に満州で、関東軍将校と共に自決を図った。
結局、未遂でしたが、八切止夫ペンネームは
「腹切(=ハラ(チ)キリ)を止めた男(=止夫)とのことです。

そんなこんなで、私たち戦争を知らない子供達世代以降とは
体験してきた環境が違うのですよね。

ゲゲゲの女房』の旦那の水木しげるは体験したクチです。
カムイ伝』の白土三平は戦中派疎開組ですが家庭環境からか、
作品にはプロレタリアの匂いがしています。

私事ですが、年輩の方々とお話するとき、
乃木希典に対して吐き捨てるように言う人が多いのに驚かされます。
戦後の左翼史観も影響されているのでしょうが、
教科書問題云々とは別に、すこし戸惑う場面が多々あります。

もっとも、それを司馬さんの『坂の上の雲』や『切腹』『要塞』のせいにする
人たちも多いけれど、司馬さんはそんなつもりで書いたのではない。
そういうふうにジャッジする人は意外と少ないものです。

また、そういった傾向から自虐史観なるものが生まれ、
それに対するアンチから肯定派が巻き返しをはかる。
いつまでたっても日本の振り子は大きく揺れている。
わたしが恐れるのはちゃんとバランスをとれてくれればいいのだが、
勢いあまってどちらかにまた倒れるのではないかということと、
バランスをとっているような中間層が、実はただ無関心だけということでしょうか。

そんななかで、出版(マスコミも含めて)に対して、
売れるための工夫としてなのですが、
「新事実」をセンセーショナルに煽ります。
ときには、内容からして多少無理があったり、その内容自体にも無理がある
場合もあります。

また、現在の「新事実」で過去の「事実」を否定しても
その「新事実」が半年ほど経つと、新しい「新事実」で攻撃される。
○○を覆す、なんてキャッチが本の帯に踊ります。

ま、結局そんな創意工夫も活字離れのトレンドには勝てないのです。
みんな不感症というか、無関心になってる。
そうなるともっと強い刺激を、となるのでしょう。
陰謀説は悪意を込めたように呪詛や嫉妬や不安を煽ろうとするわけだ。

陰謀説も「東京スポーツ」とか八切史観でとどまってくれればいいのですが
そこから飛躍して「日刊ゲンダイ」になって正論化し糾弾しはじめると
なんか太田龍の怨念に取り憑かれたようで
嫌な感じです。

とっても、嫌な感じ。