あかんたれブルース

継続はチカラかな

軍事探偵が生んだ児童養護施設



今年二回目の鹿児島行きです。前回は南薩でしたが、
今回は北薩ですかね。

天孫系の謎解きに九州霧島

としましたが、前日に予定を変更して川内に一泊して
大村報徳学園を訪ねました。

なんでここに行ったか。というと、
この養護学園の創設者・吉村専蔵氏は花田仲之助の門生、お弟子で
花田の秘書を務め戦前は朝鮮、中国、満州、諸外国に同行して
花田の思想の伝導に行動を共にしたお方です。

花田仲之助って誰?

日露戦争のときに満州義軍という秘密部隊を指揮した司令官です。

前作『「坂の上の雲」まるわかり人物烈伝』の第二弾として
もうひとつの坂の上の雲を「スパイ」をテーマに書いてみました。
10月から11月に出版予定です。
このなかで、花田仲之助は重要なキーマンの一人だった。

なあんだ、軍人の話か、と思う人もいるかもしれないけれど、
この花田という軍人さんはただ者ではない。

軍事探偵として西本願寺大谷光瑞の協力を得て、修行して
清水松月というマジ坊主になってウラジオストックに赴きました。
同じ頃にやはり軍事探偵活動をした石光真清の手記にも
清水松月(花田仲之助)は興味深く描かれています。

任務を終えて(参謀本部田村怡与造次長と揉めてクビ)、予備役後に
日露戦争が勃発すると、児玉源太郎スパイ大作戦
青木特務班の別働隊として「満州義軍」の総統となります。

なんでこれが秘密部隊かというと、
これは日本の軍人と民間人の他に清国人の馬賊や軍人も参加していた。
つまり、日清混成戦闘部隊です。

当時の清国は中立国ですから、第三国の清国人が日露戦争で日本と協力して
ロシア軍と戦うことは国際法上、違反なのです。
だから、秘密部隊だった。

この花田仲之助は、宗教から教育というものに若い頃から傾向していきます。
親の借金問題とか色々あって悩み多き若者だったんですね。
哲学者でもあった。
馬賊というものは所謂「ゴロツキ」のようなものですから
それを教育しながら規律を守らせる、つまり略奪強姦をしないなどなど

満州義軍の幹部には民間人として玄洋社の社員を多数参加しています。
とてもユニークな集団なのですが
ま、それはおいおい語るとして

戦後、花田仲之助は満州に深く関わっていくのですが
とは別に、故郷鹿児島で報徳会という団体を作って、精神的啓蒙活動を行った。

またまた、愛国心を煽る国家主義じゃないと?
と思う人もいるだろうけれど、そうじゃないよ。
そうじゃないことをここでわたしが力説してもいいけれど、
それより
2010年の今現在、
花田の志をもって創設された大村報徳学園は活動されている。

そこに、行ってみたかったのです。失礼な話ですが辺鄙なところですよ。
東京バナナをぶら下げて、なんの予備知識もなく伺ってしまった。
この学園の児童養護施設ってなんだろう?最初は障害者の養護施設かな?と。

親に捨てられた子供達、借金やら虐待やら色々な事情で親と暮らせない
子供達を育てる受け皿なのだ。

もともとは、太平洋戦争で親を失った子供を引き取って育てるために
誕生した施設だったそうです。

花田がこういった活動をはじめたきっかけも
日露戦争で多くの戦災孤児が誕生した現実にありました。
それを吉村専蔵氏は引き継いだのだ。

その後、日本は平和になった。豊かになった。けれども、
そういった子供達は後を絶たない。むしろ増えている。

子供は国の宝だという。
けれども、本当にそう考えている人がどれほどいるのだろうか。
少子化問題は強く叫ばれているけれど、
大枠で、それは税制のシステムも問題で、(無論、税制は大事だけれど)
生ませる工夫に躍起になっていますが、
今現在、生まれている子供達がこういった時代環境を余儀なくされている。

学園職員の掘ノ内さんが仰っていました。
「ここでは、18歳までしかあずかれない。けれども
 それまでに、できる限りの愛情を注ぎ、社会に送りだしてあげたい」

綺麗事ではなく、これはとても重要なことだと思う。
いま、日本に欠けているのは愛情だと思う。
そしてこういった人たちが知らないところで支えてくれてもいる。
私たちはそういったことをもっと考えるべきだ。

歴史は過去のものではあるけれど、それが人と人を繋いで
現在にも繋がり、未来へも繋がっている。
そういうことを痛感したものです。
だからね、花田仲之助に会いにいきたくなったんだ。墓参りとかじゃなくて、
彼の志が生きている場所を訪ねてみたくなった。


軍人じゃないか、しかも参謀本部の人間じゃないか、
国家主義者じゃないか、といわないで、
いまから100年前の日本人がどう考え、どう行動したかを知る。
その価値観の本質を捉えることはとても大切なことだと思います。

花田仲之助のことを含めて、軍事探偵(スパイ)のことなどを
記事にして続けます。それが、私たちの固定観念をすこし変えてみる
切っ掛けになればと、思うのです。