あかんたれブルース

継続はチカラかな

素敵なニッポン人



花田仲之助は西南戦争で兄と共に西郷軍として戦った。
兄は戦死して、花田自身も負傷して右の食指を失い捕らえられます。
このとき、政府軍だった先輩の川上操六に救われる。

そして上京して陸軍士官学校(旧6期)へ
明石元二郎が同期ですが、友人には
荒尾精、根津一、宇都宮太郎、橋口勇馬など錚々たる面々です。

花田はロシア研究をはじめますが
当時に陸軍でロシア研究をやっているのは田中義一など4、5名。
その後続後輩が石光真清となります。

そんな花田の人生最大最初の悩みが・・・
急逝した父親が友人の借金の保証人となっていて莫大な負債を花田家は抱えた。

このまま軍隊で国家のために生きるか
故郷に帰って貧窮する花田家の家政を立ち直らせる・・・
悩みに悩んだ。しかし答えが導き出せません。
そこで、鎌倉の円覚寺という禅寺で苦行を積み、遂に鹿児島に帰ることを決意する。

真面目なタイプなのですね。

それから三年を毀誉褒貶の風雪にめげず、見事に家政を立ち直らせた。
そして再度、上京して軍籍に戻ります。
日清戦争の後、川上操六にロシアの軍事探偵を頼まれ、ウラジオストック
赴くのですが、坊主として。
西本願寺大谷光瑞の協力を得て、一年間修行して
本物の坊主になる念の入れようです。

これが西本願寺布教師「清水松月」である。

ウラジオストックではだれも清水松月が軍事探偵だと知るものはいなかった。
このへん件は石光真清の手記でよく描かれています。
文庫本になって入手しやすいので、是非どうぞ。
坂の上の雲』に匹敵する名作だぞ!

ここで人知れず諜報活動に従事しますが
川上操六の後任の田村怡与造次長と揉めて辞職。

この後に日露戦争満州義軍の指揮官となるのですが、
その功績はひとまず置いて、
わたしは、花田仲之助のメッセージを伝えたいのです。

 「 世界中で、何がもっとも優れていると思うか?
   それは『誠』と『信』である。
   世の中に誠がなければ、人を信じることもできず、
   お互いに信頼できなければ、人間関係は成立しない。
   人間が人間でなくなってしまうのである。 」

これだよ、諸君。
あの頃の、日本人は誠実で信義を重んじる民族だった。
それは、北清事変の北京籠城で柴五郎と日本人義勇軍たちも立証したけれど、
共通して、日本人の特性というか性質というか本質にこれがあった。

児玉源太郎の大諜報に青木宣純の特務工作がありました。
そのなかで現地馬賊と連携して最大時1200名の部隊でロシア軍を攪乱させた
花田総統率いる満州義軍は日本と清国の混成部隊だった。
給料も払っていましたが、金だけじゃあ人間動かない。
だって、命あってのモノ種ですからね。特に強かな漢民族です。

花田隊(遊軍独立別働隊)の他にも、青木直属で
橋口勇馬少佐の東亜義軍、井戸川辰三大尉の蒙古義軍、
参謀本部直属では柴五郎と北京籠城を頑張った守田利遠少佐(満洲忠義軍)
馬賊を率いた。
また、橋口勇馬(樺山資紀の甥っ子)には江崙波という偽造中国人で
辺見勇彦(辺見十郎太の遺児)が馬賊頭目として参加した。
中国人馬賊では馮徳麟や馬連瑞も義によって参加した。

そして、戦った。
これには梟雄として歴史的には地に堕ちた悪役袁世凱とか
馮徳麟の義兄弟の張作霖も協力した。

馬賊、匪賊というのはギャングとかマフィアみたいな
例えば蛇頭が海賊ならば、馬賊は馬頭みたいなもんです。
そんな連中に略奪するな強姦するな軍規を守れと訓練して戦うのだ。
そして、戦った。

なんでこんなお伽話のような現実が可能だったか?

そこに、『誠』と『信』であったからですよ。

共通する利害もあっただろう。
でもね、それだけじゃあ人間は動かない。
動かないんだ。

日露戦争の後、その直後、日本人はこの大切な『誠』と『信』を失う。

よく、太平洋戦争の原因を「軍部の暴走」と片づける、けれども
その軍部ってなんだろう・・・って考えてみてください。
あまりにも抽象的でなんとなく曖昧で、でもまあそうだからそれでいいや。
ってなってしまう。

具体的いえば、参謀本部だったり、関東軍だったり、海軍だったりもしますが、
どこか組織にしてしまって漠然としますよね。

要は、合理主義に特化した稚拙なエリート集団の暴走です。
彼らは、合理的に効率的に、この『誠』と『信』を嗤ったのだ。
そして反古にして、信用を失った。それを国家戦略というならば、
その戦略ははなはだ低俗なものだった。結果も出ているじゃないか。

世の中には因果というものがあります。
また、その時々のベストチョイスも時間軸で効果は違ってくる。
抜け目なく、他人の上前をはねることばっかり考える戦略は卑しい。
そういった卑しさには『誠』と『信』は存在しない。
「力」は必要ではあるけれど、それだけじゃあダメなのです。

新しい歴史認識とか自虐史観に対するアンチテーゼも盛んですが
そういった事よりもっと大事なのは
今こそ、日本と日本人に『誠』と『信』を取り戻すことが先決です。

懐疑だけが知性じゃない。勇気のない知性は片輪なんだ。
損得や利害の外で、いや多少の損に神経質にならずに誇りを持とう。
信じることは勇気を要します。
また、誰でも彼でもバカみたいに信じるのではなく信じるに足る者を
見抜く知性も必要だと思う。

明治の連中はそういった勇気と知性があった。
そんな昔の話じゃない。ほんの100年前の話です。
大丈夫、同じ日本人です。死んだ祖父さんか曾祖父さんの話だ。

真理というものはシンプルなものです。

駆け引きばかりに気をとられないで、大切なものを見抜く、実行する。
花田仲之助のメッセージ『誠』と『信』。
これを確認したくて、鹿児島川内の大村報徳学園を訪ねたのです。
そして、それはまだ生きていた。

世代をこえてバトンは受け継がれたいた。
大丈夫だよ、素晴らしき日本人。