あかんたれブルース

継続はチカラかな

船頭と外野だらけの航海日誌



支那通軍人が必ずしも陸軍軍部のエリートとは限らなくなった。
という記事の続きです。

荒尾精は日清戦争後すぐに台湾で客死してしまった。

その後を継ぐ代表的な支那通軍人が
袁世凱にもっとも信頼された青木宣純(大佐)です。

児玉源太郎は西の大諜報として明石元二郎を。
そして東の大諜報として青木宣純を派遣した。
前者は明石一人ですが、後者は青木機関としてかなりの規模だった。

この青木の副官に坂西利八郎という支那通軍人がいる。
支那通軍人は袁世凱の軍事顧問としてパイプをつないでいました。
戦後、荒尾精のアジア保全は彼らに受け継がれる。ですが、

青木と坂西は対中国戦略で対立していた。

さらに、坂西の部下で次世代支那通軍人たちは独自の対中国戦略を持って
坂西と歩調はあわさない。

青木 VS 坂西 VS 土肥原賢二板垣征四郎など
これはめまぐるしい国際情勢の変化以上に
めまぐるしい中国情勢の緊迫が理由です。特に袁世凱が死去してからは
完全な群雄割拠の時代になった。
北支では張作霖などで三者鼎立となり、孫文などの南支もそれぞれの軍閥が対立していた。

さらに、軍部といっても中央の参謀本部と現地の関東軍とも別組織の様相です。
しまいには関東軍参謀本部の言うことを聞かなくなってしまう。

なにを、いいたいか?というと、軍部といっても色々だということです。
支那通軍人ひとつとっても思惑や考え方は色々なのですから。

よく、軍隊を薩長閥で解釈したりしますが、
それ以上に陸軍と海軍の対立は大きい。これはスタート時点から。
確かに、山県有朋は陸軍の法皇であり、長州閥の領袖ではあるけれど、
山県がすべてを牛耳っていた、られた、わけではないのです。

日露戦争後から大正、昭和にかけてその複雑さは内外ふくめて
非常に厄介のものです。
統帥権の問題やら皇道派やら統制派、旅順派やら奉天派やら色々奇々怪々。

だから、「軍部の暴走」といえばそうなのですが、
そう括ってしまうと解りやすいけれど、とは別に大雑把になって
本質を見失ってしまうことにもなる。
これが自虐史観の原因にもなれば、アンチ自虐史観の暴走にもなる。

そんな軍部とつるんだ、という「右翼」も同じです。
右翼といっても色々あるわけで、はたしてそれが「右翼」という
括りで一緒にしていいのかはなはだ疑問でした。
それもあって、右翼左翼そして無政府主義の曖昧さを考えてみました。

つまりは、こういった性急な結論付けから
巷の「陰謀説」も発しています。

歴史を楽しむのはいいとしても
らっきょうの皮むきのような選民差別陰謀説は
関東大震災在日朝鮮人虐殺を煽動したデマと同じようになる。
非常に稚拙であって、危険だ。

色々な諸説や真実とやらを無視するのは賢明なようで
思考停止につながりますが
かといって性急に点と点を結んで、「実はすべて陰謀だ」も問題だと
わたしは思うのです。

そして戦争責任を戦犯にすべてなすりつける姿勢や論調。
また、軍部という漠然とした存在で納得する姿勢や論調もおかしい。

もう少し、冷静に腰をすえて
近現代史をのぞいていきたいと思います。