本当に国家のためだったのか、実に怪しい。
歴史認識の定番として、
また、わたし自身も何度もそう書いてきたのですが
「日本は日露戦争後(児玉源太郎死去後)、情報を軽視していった」
というフレーズがあります。
それはそうなのですが、支那通軍人の変遷を見つめていくと
その規模は確実に拡大している。(いや、拡散かな)
情報とはなにか?
これを情報将校の草分け福島安正の言葉を借りるとすれば、
「情報とは一時的な断面の現象よりも、長期にわたる変化を調査して、
将来に対する予想を至当に判断し、
しかもこの判断に従って対処できる余裕があってこそ、
情報が活きた情報として価値があるのだ」
つまりは、『断面の現象』に惑わされ『予想』を見誤り
また、『対処できる余裕』がなかった。ということなのか。
もうひとつ、その情報を束ねるリーダーの不在がある。
拡大ではなく、拡散という言葉を使ったのはそのためです。
児玉の後継者たる福島安正には藩閥のバックアップがなく、
田中義一は人が良すぎたのか、時代のためか・・・
その意味でも落合莞爾氏が持ち上げる上原勇作に対して
わたしはまったく評価できないのでした。
そして、川上操六や児玉源太郎がいかに優れたリーダーだったか
つくづく噛みしめております。
ある意味、みんな児玉になってしまう。小さな児玉が増殖した、かな。
そこにロマンティシズムはあっただろうけれど
これが船頭ばかりで二進も三進もいかない。
北島三郎が歌うように
「歩のない将棋は負け将棋〜♪」とくらあ。かな。
軍部が官僚化していったこともある。
また、国際協調といって軍部に対する
政府や外務省や政党政治などを正義とする考えも根強いですが、
その協調とは列強の利害との強調であって、悪徳への協調だったりもする。
幣原外交にもそんな側面があります。
別に軍部の在り方を擁護しているわけじゃないですよ。
石原莞爾も佐官級だし、良識派として「天皇」を引き合いに出されると
身動きがとれなくなってしまったようです。
日露戦争の勝利は、それを引き替えに様々な弊害を残しました。
ひとつは、メッケルによる作戦至上主義です。
金もなかったのでしょうが兵器や技術革新が疎かになってしまいます。
もうひとつは、それを補うための精神論至上主義でしょうか。
それの裏付けとなったのが旅順を攻略した乃木希典だった。
そうそう、この間の記事で
甘粕正彦が最も嫌う歴史上の人物は、この乃木希典です。
裏切られても国家に忠誠を尽くさなければ生きられない
甘粕正彦が嫌ったのは
インチキ臭い建て前主義と乃木希典だった。って面白いですね。
さて、先を急ごう。
時間がないんだった(汗)