あかんたれブルース

継続はチカラかな

一度原点に戻って



天才・石原莞爾
しかし結果として彼の行動は失敗だったのかなあ。
それは日蓮宗の予言から東西最終戦争の「ときを今」と考えたこと。

釈迦の支配は「正法」「像法」「末法」の三つの時代にわかれ
その時代が終わると弥勒に受け継がれる。
釈迦入滅後
正法は千年、像法が千年。そして末法の時代は一万年。
合計一万二千年也。

ところが「大集経」という教典に最初の二千五百年を五百年単位で
詳しく解説したものがある。
ここからして12000年が2500年に変わったわけで
妙な塩梅ですが、諸説色々あってまあ混乱したわけです。
で、お釈迦様が死んだ時期もまた曖昧で根本から揺らいでくる。

ここで石原莞爾は門外漢としつつも(彼のオリジナルだったかは不明だが)
田中智学の
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E4%B8%AD%E6%99%BA%E5%AD%B8
大正八年から四十八年の間に世界統一が達せられることを信じます。
それ以前に最終戦争が起きなければならないと。
大正は15年ですから48−15=33年。
石原の「最終戦総論」の講演記録が昭和15年ですから
あと、18年。だから、あと十年後ぐらいで西洋との最終戦争があると。
こんな段取りだったようです。

世界の統一には戦争が必須と考えた。時代環境のせいか、軍人という生業のためか

石原莞爾があと三、四十年で石油とか資源エネルギーが枯れるから
原子力に切り替える。日本は資源がないから必須なんだは正しい。
石油はまだ枯れていませんけどね。
でも正しい。時間の読みはおまけです。

しかし、この日蓮の予言と、「大集経」の解釈と、田中智学と石原莞爾の予見はあかん。
どうこういっても結果的に当たらなかった。
太平洋戦争は東西というよりも、日本が孤軍奮闘して自滅したわけです。

第一、1万2000年っていってるのに「大集経」を持ち出して
2500年に短縮して、それで収拾がつかなくなってまた理屈を捏ねて
1958年とする。
こういう細分化していく発想を「知の暴走」と言います。
そう説いた安岡正篤自身も当時は暴走していたのかもしれない。

西本願寺大谷光瑞が多額の資金をつぎ込んで何度も西域に探検したのは
仏教教典のオリジナルを求めることが目的でした。
インド仏教は日本に伝わる課程で中国のフィルターを通されます。
ここで漢字翻訳されるのですがそこで誤訳があるのが問題っだった。

また、釈迦が死んだ後にそのお弟子さんたちが編んだ教典も
どんなものかわかったものじゃない。それを疑えばキリのないことですが、
とにかく、預言と予見予想目論見は外れた。

八紘一宇の夢は破れた

その原因は石原莞爾自体にもある。
予測云々ではなくて、軍部の暴走を止められなかったことです。
満州事変の火付け役は石原莞爾だった。
これは野焼きのようなもので評価する価値はあると思う。
けれども、この火が支那まで飛び火して大火災に発展する。

中国への戦火拡大を止めに入ったら武藤章
>「石原閣下が満州事変当時にされた行動を見習っている」と嘲笑され絶句したという。

ことあるごとに東条と対立しますが、天皇の名を出されるとお手上げ。
そして嫌になって放り投げてしまった。

最後まで責任もたんかい!ってなことです。
まっ、これが天才所以の季節の気まぐれパスタなんでしょうけどね。

ということで。ということで

整いました

石原莞爾とかけて
「夏休みの宿題」とかけます。その心は

最初の計画に無理がある。

馬っちです