あかんたれブルース

継続はチカラかな

『連動記事・・・平和への道筋』

連動記事に寄せて、
馬太郎なりの平和への道筋を考えてみました。

わたしの専門は歴史と哲学です。映画とお笑いも少々。
おっと、愛についても結構うるさい者でもある。
そういったことで、愛の歴史について語り、それを平和への道筋の導とさせてください。

トルストイの作品に『戦争と平和』というのがあります。
二者選択でどっちを選ぶとすれば、製薬会社か武器商人以外は平和でしょ。
その戦争待望論者も自分が兵隊になるとか、大切な人(もしいれば)が
兵士になって死ぬかも知れないとなればやっぱり平和です。

現金なものです。

戦争は痛いし苦しいし悲しい。単純なことです。
戦争を求める者はごく一部の利権を持つ、対岸に腰をおろした傍観者。
軍人児玉源太郎も政治家伊藤博文も法王山県も策士杉山も求めちゃいない。

すべては国境の線引きの問題だ。

それでも、戦争はなくならないという。なぜ?
それは過去の人間の歴史が証明すると、木で鼻を括ったような答えが返ってくる。

そんなものは証明にならない。
それは歴史の「流れ」を誤解しているからだ。
歴史は繰り返すといわれるが、そもそもそれが間違いです。誤解、錯覚。
歴史は時間の記録です。時間はある方向に進んでいる。動いています。

繰り返されるように見えるのは円を描いた螺旋状で動いているからだ。
そこに歴史の相似はあるけれど、それは決してイコールじゃない。
時間軸の次元が違うのだ。

いま、馬太郎ブログでは満州を扱っています。
そのなかで、石原莞爾は「最終戦争」を意識し確信し遂行しようとした。
わたしは彼を天才だと思うし、(比較論として)認める者ですが、
石原莞爾はふたつの誤りを犯していると思います。
ひとつは日蓮宗の予言。
もうひとつは戦争のメカニズムを「人間の闘争心」として業と考えたことです。

時間は方舟にのって動いている。
ひとつところにはとどまってなどいない。
石原が考えた時代と現代ではさらに時代環境が異なっている。

自分さえよければ。自分たちさえよければ。これが曲者だ。

山本周五郎の原作で黒澤明監督作品に『赤ひげ』という名作がある。
そのなかで
「すべての不幸(悲しみ)は貧困と無知(無学?だったかな)が原因だ」
という台詞があります。

たしかに、貧困によって、というのはある。
けれども貧困がすべての理由にはならない。

人はパンのみで生きるにあらずといたのは一神教の教祖でした。
わたしも含め、諸悪の根元はこの一神教であると説く傾向にありますが
どうもそれも違うような気がしてきた。

エスもそんなつもりでいったわけじゃない。
マホメットもそうです。
仏教でいえば親鸞もそんなつもりで一揆を煽ったわかじゃないし
日蓮だってそうかもしれない。お釈迦様でもそうです。
伝言ゲームのように人間(弟子)が介入することで変容し、拡大解釈され、
スリードされていった。

人は宗教のみで生きるにあらず。罰当たりですがそう思える。
宗教がしがらみになって不幸を招いていることを知ったら
彼らはどう思うでしょうかね。
民族にしても、国境にしてもそうです。

共通していえることは「愛」なんだと思います。
けれども、私たち人間が愛を認識したのは近年になってからです。
それを明治になってからしても大袈裟ではないと思う。
なんたって、そういう言葉や認識がなかったわけです。
そして、その解釈咀嚼に苦労しました。
それが普及するのは戦前の映画『無法松の一生』からです。
けれども、それでさえ誤解があった。色恋だけに特化させた。
なぜか?わかりやすいからです。

それがLoveの欧米人だって同じです。

人間は他の動物たちよりも格段に進歩した生き物ですが
それはそれでまだまだ進歩の課程にあると思うのです。
20世紀ぐらいになってようやく愛について意識しだした。
時代という時間は螺旋を描いてある方向に進んでいます。

平和への道筋とは、愛を導きにすることだと思う。
それはストイックなものではなく、意外と単純で気持ちよいものだと思う。
「現実は厳しい」という人もいるでしょう。
けれども、その現実も厳しくするもの人間の仕業です。また、
楽しくするも幸せにするのもこれまた人間が成せること。
どれもこれも現実であって、すべて現実です。
過去の歴史とは、その過程の記録でしかなく失敗の歴史として
私たちはそこから大いに学べばよろしい。
そういうものを裏付けとして、戦争はなくならないのとか
現実は厳しいとか履き違えたり取り違えたりする事は、稚拙だと思います。

わたしはそう思うな〜あ。

愛とは
無償の愛と自己愛である。
それは信じること信じあうこと。
大切な人を、そして自分自身を。
自分さえよければという発想ではそれは得られません。

そういった自分というものの「しがらみ」から解放されること
それが人間の最終的に求める「自由」があるのだと思います。

「平和への道筋」

これをたどって、どこに向かっているのか。
そりゃもう幸せです。幸せになりたい。誰だって。
幸せとは自分をしがらみから解放する「自由」にある。そう思います。


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