あかんたれブルース

継続はチカラかな

『連動記事・・・平和への道筋』の雑感



ここんところ陰謀説を追い続けているものですが
場違いに平和を訴えてしまった。
でも、これ杉山茂丸も同じで花田仲之助も同じ
だから、馬太郎もこれが言いたかった。
陰謀を煽って平和を攪乱する輩もいるわけですからね。

甘粕正彦大杉栄も最終目的は一緒と書きました。
石原莞爾も同じです。
右翼も左翼も同じ(天皇制の捉え方だけ異質なだけ)です。
それにもう右翼左翼なんてないに等しい。歴史上の亡霊です。

なにを怖れているのか。
競走馬は自分の影に脅えるといいます。
私たちは馬じゃないぞ。

さて、第二回青空会議で半分ぐらいは話したのですが
途中で馬太郎の愛あるセックスの話に脱線して最後まで話せなかったこと。
今回の「連動記事」の企画に参加して、思い出しました(おいおい)

話は、やっぱり明治の頃

瓦版から「新聞」が誕生した。
やがて大新聞と小新聞が生まれます。
前者は社会論説の真面目な堅物。後者はもう少し柔らかめ。
やがて小新聞が大新聞を凌駕していきます。
その主役は黒岩涙香の「萬朝報」でした。赤新聞と呼ばれたけど共産党系じゃない。
小新聞ながら社説をメインにしたりして藩閥政治や財閥批判を書き立てた。
拍手喝采で民衆に受け容れられたのです。

その後発組で後にライバルとなって雌雄を決するのが
秋山定輔の「二六新報」です。こちらはもっと過激でまた安価で売り出します。

どちらも明治を代表する。いや、日本のジャーナリストを代表する
言論人であり経営者です。面白い人物ですよ。

でもね、まむしの周六(黒岩涙香)も秋山定輔
商業媒体の罠にはまっていく。
ここがジャーナリズムの難しいところです。

さて、こういったスター選手とは別にたくさん新聞社が誕生した。
杉山茂丸は大阪毎日新聞や福陵新報の立ち上げに携わったのです。
福陵新報は玄洋社の新聞で現在の西日本新聞です。
西日本新聞って九州の人には馴染み深いはずですよ。鹿児島は南日本新聞ですが。

今の読売とか朝日の全国展開はなかったので地方にそれぞれの新聞社があった。
長崎にはね『東洋日の出新聞』というのがあって鈴木天眼という人がやっていた。
なんか恐そうな名前ですね。
内田良平の天佑会に参加して孫文の革命にも奔走した人です。
最近は内田良平というと即右翼!とするけれど、それもどうだか困りもの。
鈴木天眼は元「二六新報」の記者(主筆)です。
「二六新報」はどちらかというと左よりの新聞なんだ。
だからさ、この頃から右とか左の区別はなかったのだ。
因みに鈴木天眼の『東洋日の出新聞』を手伝って編集長をしていたのが
西郷四郎といって『姿三四郎』のモデル。講道館を飛び出して
孫文の革命に奔走した会津人です。

ところで、日露戦争講和を不服として民衆を煽った新聞各社。
日比谷暴動事件の重要加害者だ。
もっと戦争を続けろ!だってさ。

ポーツマス条約締結を日本の国力の限界として正当なものとしたのは
徳富蘇峰の『国民新聞』と鈴木天眼の『東洋日の出新聞』だけです。


マスコミのいい加減さに憤る声をよく聞きます。同時に
報道の横暴に脅える声もよく聞きます。

でもね、彼らの力はスポンサーと視聴(読)者によって実は脆弱です。
別にクレーマーになることを勧めてはいるわけじゃないけれど
妙な描き方、変な企画構成にはノーと無視すればいい。

それよりも、明治に話をもどせば
彼らは新聞を使ってそれぞれの意見を世に訴えていた。
媒体を持つにはお金がかかります。
それを商業ベースで運営していこういとすれば、黒岩涙香秋山定輔のように
最初は理想に燃えていても、その罠にはまる。

ブログをひとつの媒体と考えてみて
たとえば「ロマン新聞」とか「春風新報」とかの新聞だと置き換えてみる。
今回のロマン議長の試みは
「ロマン新聞」主催で各社の主筆が勢揃いして
「平和への道」という論説特集を組んだ。と考えられる。

これって、なんかワクワクしました。

ロマン議長、またやろうね。