あかんたれブルース

継続はチカラかな

その後の広島



昨日の広島原爆の連動記事企画はだいぶ盛り上がったようです。

広島の原爆からその先を含めて色々な意見はあると思います。

わたしは思う。

先の戦争の経緯や実情は複雑で、とても白黒とスパッといかない。
そりゃあ、戦争はよくない。これで間違いはないのです。
しかし、近現代史は謎が多く、また、明らかにされている資料や
マスコミ・ジャーナリズムの捉え方もまちまち。
結局、私たちはそのなかから自分なりに判断しないといけない。

第一世界大戦はヨーロッパ人に深い傷を残しました。
近代戦争の猛威の洗礼をモロに受けたのだ。
それが故に、兵器だけでなく、戦後
哲学、教育学、科学・物理学が驚異的に発展しました。

けれども、過ちは繰り返された。

ここが問題なのだ。

原爆投下後の広島に話を絞ってみます。

廃墟になった広島は弱肉強食の世界となり、
新たな「暴力」によって統治されようとします。
爆心地付近で渡辺長次郎といういう大親分がピカドンで消えて亡くなった。

これより、広島と呉を舞台に第三次にわたる大抗争が続きます。
これは、山口組分裂(山口組対一和会)抗争以前ならば
戦後最大の大抗争事件でした。
しかも泥沼で敗戦直後の昭和21年〜万博翌年の昭和46年まで続いた。

原因は、リーダー(渡辺長次郎親分)を失ったことによる
組織秩序の崩壊。それによる利権争い。
そして、遺恨の連鎖でした。
それはまるで、パレスチナイスラエルアラブ諸国中東戦争のようでした。

第一次抗争は広島の岡組とテキ屋村上組の抗争でしたが、
第二次抗争は呉ならびに広島全域へと拡大し
山口組や本多会(現大日本平和会)などが絡んで収集がつかない。
そして、誰も仲裁に入れない状況に陥る。

どうせ、暴力団のことじゃないかと思う人もいるでしょうが
市民生活と密接しているわけです。
警察権力でもどうにもならない。というのは、抗争末期は
ダイナマイトを使ったテロ事件が続発した。

「広島の喧嘩は金じゃあ解決せんのよ」です。

で、どうなったか。
結論かたいえば昭和47年5月に和解(手打ち)が成立します。

どんな実力者・権力者がそれをやったか?

一人の、広島阿賀出身の男がそれをやりました。

波谷守之。

波谷は広島抗争で親分と実の父(堅気)の二人を殺されている。
広島抗争の主役である村山辰夫(初代共政会会長)が最も恐れた男です。
その波谷守之がすべての遺恨を自ら水に流して
奔走して和解させた。

抗争(戦争)ですからどちらも加害者であって被害者です。
どちらに言い分はある。
それをまとめるのは至難の業で、生命の危険は必須なのだ。
それをたった一人の人間が成し得た。
これといった組織のバックもない男がやったのです。

人間一人の力の非力さを私たちは痛感している。
けれども、その一人の力も決して無力ではない。
私たち人間はちっぽけな存在であることは間違いない。
けれども、非力ではあるが無力ではない。

例として、やくざの話を持ち出すのはアレですが、
これもまた近現代史であり、
それは政財界の黒幕といわれた杉山茂丸の存在にしても同じだ。

こういったやくざの歴史でさえも、わたしは
「ああ、これも日本人が植民地にならない要因だなあ」と思います。

それは国民性の資質である。

やくざを最低層の人間と捉えるならば、その最低の日本人にも
この特性がある。

別に民族主義の話をしているんじゃない。


戦争のメカニズムは複雑です。
日本は悪い。
しかし、アメリカは戦争したくて仕方がなかったのです。
日本はアメリカとは戦争はしたくはなかった。これが本音です。
結局は「しくじった」のだ。
目前の矛盾を解決できなくて、綱渡りをして
引っ込みがつかなくなって、やっちまった。

「それじゃすまないだろう!」
といってもそれを誰に言うのか。戦犯に?政治家に?誰に?
結局は、私たちがよく理解して(歴史から学んで)、
二度とそういったことがないように行動していくしかない。
これしかない。

だから理不尽やジレンマや矛盾があっても苛立ってはいけない。

性急に一発逆転のホームランを狙っても失敗します。
コツコツと出塁してバットを短くもって走者を進塁させて点を稼ぐ。
一発逆転で役万を狙って相手の手を観ずに役万を振り込んだというのが
先の戦争であるのですから、
焦らずに一人一人ができることをやればいいと思います。