あかんたれブルース

継続はチカラかな

しきちゃんへの伝言(2)



しきちゃん、君がわたしの転載記事に対する
先方での反論について、ここで返信させてください。

>>伊藤博文日韓併合に慎重論者で、反対の立場をとっていたことは
歴史的事実です。
(しきちゃんの意見)
これは典型的な歴史歪曲です。たとえばですね、強盗や殺人などの悪行をやる人は普通は社会を恐れて『やろうか、やめようか』と迷いますよね。日本が侵略や植民地支配をやったときも国際社会からの非難や制裁を恐れて『やろうか、やめようか』と迷ったのは当然です。ですから、伊藤博文に関する史料史料のに朝鮮植民地支配を否定するものがあったとしても不思議ではありません(あたしは見たことはありませんけど)。

だからといって、一部の植民地支配を否定する史料だけを持ち出して、伊藤博文が植民地支配に反対していたと結論付けるのは典型的な歴史歪曲です。

前半の犯罪者心理の開帳は面白いけれど、ここから「歴史歪曲」とするのは
苦しいのだ。無理筋というやつだね。
伊藤博文韓国併合に反対だったことを立証する資料は
近年発見された伊藤メモによって決定的な事実とされています。これは揺るがしがたい。

それ以外でも、杉山文献にある、伊藤が二代目韓国総督曽禰荒助に対する
言及、言い付け(遺言)でも、それは明らかであり、
そういった伊藤の姿勢にヤキモキする杉山茂丸自身の発言も参考になります。
(『俗戦国策』を一度チェックしてみるといいです)

状況証拠として、
日清戦争でも反対だった伊藤を参謀本部の川上操六と外務省の陸奥宗光
騙して戦時編制で出兵させ、戦争に発展させたのは有名な話です。
また、日清戦争を焚きつけたのは韓国開明派の政治活動家からの発案です。
これは、清国に対する隷属を断つ。これが目的であり、
日本側は清国、韓国の近代化、韓国の独立。
これによって、欧米列強の植民地支配に対抗する。
そして日本の不平等条約改正のパフォーマンス。などがあります。

それでも、伊藤は戦争に反対でした。
なぜか?
ここに世代の特色があります。と同時に伊藤自身の経験でしょうか。
幕末から、ゼロから奔走した伊藤には内乱に終止符を打った日本が
外国と戦争をすること自体を恐れたのです。
そういった、伊藤を恐清症、後には恐露症と揶揄するけれど、
彼は基本的に平和主義者であり、現実主義者だった。
日本にはお金がなかったのです。
これも事実です。

さらに、日露戦争でも伊藤の姿勢はかわりません。
日英同盟締結に対して、単身ロシアに赴いて日露同盟を締結させようと奔走する。
日英同盟は、対ロシアに対する牽制と戦争必須の条件。
日露同盟は、その戦争自体を回避するものです。
結果、伊藤の目論見は敗れ、政治生命を失うという結果となります。

どこぞで、韓国の共産党党首の
朝鮮半島ソ連の一連邦であったら、分断の悲劇はなかった」という
発言を御丁寧に転載している者達がいますが、
当時ロシアの悪辣非道は世界的な常識の事実です。
それは北清事変で明らかになっている。略奪暴行強姦殺戮の世界最強の陸軍。
その中央アジアでの無法。その手法で
満州に侵略し、清国人を大量無差別に虐殺した
「ブラゴヴェヒチェンスクの大虐殺事件」を御存知でしょう。

もし、伊藤の日露同盟が締結となったら(そんなことは100%ないけれど)
その段階で朝鮮半島は南北に分断されていた。
一度、あの時代に韓国はロシア連邦の一員になってみたらよかったかもしれませんね。
そういった、歴史的な事実に目を伏せて、こんな発言をする韓国人、
こんな発言を有難く転載している日本人の頭脳と精神を疑う。

>国際社会からの非難や制裁を恐れて

これは外務省および政府の方針でした。当然それもあったでしょう。
解くに、日露戦争以降はそれが顕著だと思います。
そのことからわたしは幣原喜重郎外交政策に懐疑的であり、
日中関係を根底から覆した「対華二十一ヶ条要求」にも言及する。

なににせよ、そのような日和見外交とは一線を画した姿勢を貫いていたのが
スケベ爺の伊藤博文という我が国最高の政治家です。

伊藤博文は、我が国の暴走のストッパーであり、韓国の安全弁だった。
その伊藤を殺害した安重根は民族の英雄どころか、
「世界一間抜けなテロリスト」といわれる所以だと、わたしも思う。

けれども、話はそう単純じゃない。
安重根は伊藤の罪状に「孝明天皇の暗殺」をあげている。
このこと、不思議におもわないか?