あかんたれブルース

継続はチカラかな

人生色々、男も女も人間いろいろ

しきちゃんへの伝言(3)


しきちゃんはさ、先の戦争を天皇および君のいう「天皇教」のせいと
的を絞っているみたいだけれども、
わたしは、どうもそれだけじゃない気がする。

戦前の天皇崇拝者にも色々あったってことが、まずひとつ。

たとえばさ、無政府主義者大杉栄(妻と親類の子供共に)殺しとされた
甘粕正彦(元憲兵隊大尉)って知っているでしょう。
この人はどこをどう突っついても国粋国家主義者なんだけれども
「宮城(皇居)に向かってお辞儀してる連中はアホだ。
 あそこはただ陛下がただ住んでいるだけで、
 そういう形式的なパフォーマンスは大嫌い!」といっていた。

ついでに、甘粕が嫌った歴史上の人物は乃木希典
明治天皇に殉死した、忠臣といわれる尊皇軍人です。

つまり、天皇崇拝者にも、
色々な質や色合いや思惑がある。これはある意味、リアリティーがあるよね。
天皇陛下万歳といって死んだ人(兵士)が実は少ないように
これってマスコミやテレビ、映画、小説、マンガなどの「媒体」の影響が大きい。

因みに、爺が「○○じゃ」「のう〜」とかいうのは
すべて長州弁です。
これは権威を表す言葉として(如何に長州出身者が権力者に多かったか)
マスコミ(小説や脚本含めて)が流布させたものです。
だから、年輩の人で、山陽地域出身者でもないくせに、こういった言葉を
使うようになった年輩は権威を欲するお調子者と思って間違いない。
(わたしは洒落で使う場合はありますよ)

乃木の話が出たついでに、得意の乃木の話をします。

乃木が殉死した理由に西南戦争での軍旗消失事件というのがあります。
「恐れ多くも天皇陛下から賜った」軍旗を薩摩軍に奪われた。
これを不名誉として、乃木は常に心に病んでいたといわれます。

乃木という人物が思うことですから。そんな個人的なことはどうでもいい。
のだが、
こういった、乃木の考えを、当時の明治の軍人は不思議に思っていた。
「軍旗だったらまた新しいのを補充すればいい」
これが明治人の普通の常識でした。(つまり乃木の考えは異常に感じられた)
これは武士道が大きく影響していた時代の話ですよ。
西南戦争明治10年です。

ところがさ、この乃木の姿勢がマニュアル化していく。
それが特化していくのが乃木の殉死後、大正から昭和にかけてです。
しきちゃんがいう「天皇教」ってやつです。
この言葉には語弊があるのだが、あえて101歩譲ってここでは使いましょう。
意固地になれば「天皇制」という言葉にも抵抗はあるのですが、
ま、ここでは細かいことはいわない。としておこう。

乃木の殉死にさえ、賛否が分かれたのです。

別に乃木がそれを望んだわけじゃない。乃木に悪意なんかない。
そういうところに頭がまわる人ではないのです。
彼のなかには「美学」しかなかった。といっても過言じゃない。
そして清廉の人でもある。(最後の一行はフォローです)

利用されたんだな。

乃木も、そして天皇も。


「利用されても、されたから悪い!」

と、しきちゃんは叫き散らしてコメントを爆発フル稼働させるかも
しれないけれど、まあ待って。

百円ライターで火災が起きたからって
百円ライターを製造中止にするのが、いまの日本の馬鹿さ加減です。
子供をちゃんとみていない馬鹿親をなんとかしないと
そういった悲劇はまた起きる。
結局、火を使うなという運動に発展しそうです。どこぞの市民運動が。

こういうことを書くと
天皇と百円ライターを一緒にするな!」とか(某右翼幹部から)
「乃木将軍を百円ライターと一緒にするな!」とか(某神社関係者とアホマニアから)
「遺族の気持ちを・・・云々」の(某人権擁護団体とかなんとかサークルから)

お叱りを受けそうですが・・・
わたしはいつでもどこかれでも叱れてばかり・・・

「原爆如きで被害者面するな」と大見得を切ったしきちゃんならわかるよね。

なに、わからない?

話は途中じゃ。そうギラギラするなよ(汗)

本日は、
天皇崇拝といっても、色々あらあな、という話です。

日本全国みんなが
フラフープを廻していたわけじゃない。
学生運動してたわけじゃない。
アメリカンクラッカーをカチカチさせていたわけじゃない。
ヌンチャクを振り回してアチョーしてたわけじゃない。
竹の子踊っていたわけじゃない。
サタデイナイトフィーバーしてたわけじゃない。
バブルで踊っていたわけじゃない。
ワールドカップに熱狂してたわけじゃない。

真珠湾攻撃で、夫婦仲に悩んで特攻したパイロットもいたんです。
零戦一機、高いのですよ。それをあなた(汗)。税金の無駄使い(涙)
特攻は階級によって軍人恩給の金額が違うのだ。
昇進するまで、なんども帰ってきた特攻隊員もいたんだ。
これも、親孝行。悲しい親孝行。

天皇陛下? そんなことどうでもよかった人も多かったのですよ。