あかんたれブルース

継続はチカラかな

天皇という存在

しきちゃんへの伝言(6)


ここでは、孝明天皇の暗殺はほぼ確定的な事実として認知されている。
と書いてきました。

以前、徳間書店の局長クラスの編集長に
孝明天皇暗殺説の是非を聞いてみたら、鼻を鳴らして「当然じゃん」
という答えが返ってきました。オマケに徳川家茂もセットだという。
この意見の信頼度云々ではなく、一般的な出版人(事情通)の間では
常識化しているのでしょう。という話。
明治天皇すり替え説も否定はしなかった。


たださ、そこで大きな疑問が湧いてくる。
陰謀説亡者はあまりそこには気がまわらないようですが、
わたしは陰謀説亡者ではありませんので、大いに沸いてくる。

もし、巷で流れているように長州が明治天皇北朝系から南朝系の皇子と
すり替えたとして、そういうことを薩摩は黙って容認したのか。

藩閥政治というのは薩摩と長州によるものですが
この薩摩と長州はそれぞれ思惑と利権も絡んで一枚岩でもありません。
実際に、その薩摩は分断(西南戦争)後に巧妙に長州が凌駕していく。

明治天皇をすり替えたとしても長州単独で、というわけにはいかない。
これは官軍(薩長土肥その他大勢)の公然とした認知があった。
といっても過言ではないと、思う。
そんなことを勝手に長州だけで、それも長州の一部と岩倉具視だけで
できる?
それで紛糾したら新政府樹立の途端に空中分解してしまいます。
マンガじゃないんだから。

さらに、そのことを、長州出身者に限ってみて
伊藤博文や山県や井上馨世代より少し若い
桂太郎や、乃木希典や、児玉源太郎らの大将中将クラスは
知っていたのか? それをどう感じていなのか? だ。

文献やら歴史的事実から考察するこの長州第二世代の明治天皇に対する
忠誠忠義は本物だ。なんの曇りもない。
それは、長州だけでなく、「すべて」といっても過言ではない。

陰謀亡者はこの「すり替え」でどこの「馬の骨」と罵倒し、卑しむ
汚い表現を用いますが、明治人はそんなことはまったく考えなかった。

ここで、南朝北朝の正当性云々は語らない。
そういうのは、どうでもいいのです。どちらも正当なのだから。
ここでも問題は「血胤」というか
日本人の血に対する観念の話の続きです。
現代人の我々と100年前の日本人とは大きなギャップがある。

万世一系という明治になって伊藤博文が定義付けたものでしたよね。

みなさんは、それ以前の天皇家の家系。いや、
その天皇がどれほどの女性と関係して、そのうちの誰が出産し、その子が成長し、
そして、天皇に即位していったか、わかる?
相手は公家の娘でも、その娘の父親がどんな女性と関係して・・・

明治以前は天皇家自体も経済的に苦しかった。
それ以外は官位は高くても貧乏公家はゴロゴロ正露丸です。
そこに、万世一系っていうものを持ち出す事自体が野暮ってものでしょう。

要は、
血の観念、血の価値観が違うのだ。

私たち日本人は「天皇の赤子」といわれる。
これを「軍国主義のスローガンだ!」とするのはちょっと早計。
日本人の思想のなかに結局はみんな血が繋がっている。という達観がある。
源氏や平家といった武家だって、もとは天皇の血筋の末なんだもの。
島国である日本、村社会たる日本人がこういった考えをもっても
おかしくはない。

また、血縁に対しても縁続きの間の縁組みが続いていた。
結婚観念も、現在の自由恋愛とは別の意味があった。

だから、昭和天皇を「裕仁」という一個人と混同するのは誤解のもとです。
昭和天皇とは、そういう役割をあらわす。
天皇機関説というものも、その機関の頂点の役割。と考えるべきではないでしょうか。

これはスターやタレントの例えと同じ。
美空ひばりは歌が上手くて大スターでした。
雲の上の人。ところが戦後になると、そういった存在と個人が近づいてきます。
ひばりと自分を比べて嫉妬して塩酸を投げつける少女も出てくる。
ひばりの出自、プライベート、兄弟と山口組の関係がスキャンダルとなって
パッシングされ、NHKから閉め出される。
しかし、美空ひばりの歌手としての実力と魅力にはなんら関係ない。

こういった現象はさならに加速していき、
「隣のお姉さん」とか「素人っぽい」身近な存在が商品価値となっていく。
そして、淡谷のり子が嘆くのです。
この説明でわかるかなあ? 余計混乱したりして(汗)

だから、天皇の戦争責任を糾弾しても意味がないのだ。
第一、二十数年前に崩御されておるではないか。
どうやってその責任をどのように取らせるのか?
天皇「制」廃止? それは話が違うだろ。アホらしい。

血の観念論には、
それと平行して日本人のセックス観も付随しますが、
またそれは違う機会にしますね。