あかんたれブルース

継続はチカラかな

正論の賞味期限

しきちゃんへの伝言(8)


こういった民衆(国民)の暴走は先の戦争だけに
限ったことではありません。

しきちゃんはそれを「天皇教」のせいとして、さらに
天皇責任」として「天皇」「天皇(制)」に的を絞りますが、
それは間違ってはいないけれど、事象のひとつであり
それだけに集約させてしまうのは、間違いです。
敢えて、意識してなのかどうかはわかりませんが、考えが浅い。

わたしは、決して天皇に責任がなかった
ということをいっているのではありませんからね。落ち着いて読んでください。

無論、私たちの共通認識として「マスコミ」の影響もあります。

以上のことを理解するうえで一番わかりやす例があります。
時代は明治37年から38年の日露戦争当時の話です。
日本昔話だと思って、聞いて下さい。

当時の日本人は対日露戦争を熱望していた。
例外は、実業家と政府関係者などです。山県有朋も反対だった。
国力が違いすぎるので戦争しても勝てないのです。これが理由。

煽動したのは、
たとえば東大の学者連中(七学者。東大という第三の派閥もあった)

そして、新聞(マスコミ)業界です。

戦争は、新聞雑誌が売れるの。
これはその前の日清戦争で立証され、マスコミ業界に定説化された。
このとき、日本を代表する政府糾弾の姿勢で人気を博していたのが
黒岩涙香の「万朝報」と秋山定輔の「二六新報」でした。

黒岩はいろいろ悩んだ末に、経営者として日露戦争肯定派に変心します。
それが原因で社員だった幸徳秋水堺利彦内村鑑三などが退社。

秋山は初志貫徹で戦争反対を訴えることで、独自路線をアピールすることで
読者の支持を獲ようとした。ここにも戦略はある。

断固と反対したのが伊藤博文だった。
日英同盟に対して、伊藤は戦争自体を回避させる日露同盟を
締結させようとして、失敗し、政治生命を失墜させたのでした。
しかし、伊藤の偉さは、そんなことではなく日本をどうするかだった。
腹心の金子堅太郎を開戦すぐに米国に派遣。
大統領ルーズベルトに講和の仲介依頼の要請に向かわしている。

その米国行きの船のなかで、金子は高橋是清と遭遇する。

高橋は日露戦争の戦費調達のために日本債の売り込みに米国に向かっていた。

明治三十七年二月二十四日。しきちゃんの誕生日の日
日露戦争は三週間前に始まっているというのに、
戦費の見込みが立たなくて、借金しに外国に赴く・・・

そ、そんなバカな!金子はクラクラしたことでしょう(涙)。

日露戦争は、ロシアは・・・
国力が違いすぎるので戦争しても勝てないのです。
そして、日本は戦争をするお金がなかった。

さて、ここでだ。
サイベリア号がアメリカに向かって出航した日本国内で
「二六新報」が『高橋是清の外債売り込みは失敗する』と
大糾弾キャンペーンをはじめた。

日露戦争の戦費の試算、それを借金で賄おうとする姿勢の糾弾だ。
時期尚早であると。そして、日本がロシアに勝てる見込みはなく、
それは米国英国でも常識的な見方であり、従って負けるとわかっている
国に金を貸すバカはいないという論説です。

誠に、正論。

しかし、「二六新報」は、秋山定輔は、間違っている。


日本があと何年、何十年かけても日露戦争の戦費(17億ぐらい)は
貯められない。
というよりも、ロシアのシベリア鉄道が開通してしまうじゃないか!
相手は通常兵力15倍。国力差8倍の大国なのです。

なによりも、
戦争はすでに始まっているのです。

正論にも、賞味期限というものがあるのでしょう。
それを逸すると、劇薬にもなる。

この後に、秋山はロシアの工作員に仕立てられていきます。

それを仕掛けた、糾弾したもの媒体、マスコミだった。


次回はその仕掛け人の話、そこから
暴動に結びます。