あかんたれブルース

継続はチカラかな

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日本人の愛と死と性と生(5)


昔、桂子という女が
「馬太郎さん、愛がなくてもセックスはできるんですよ」
と言った。

不肖、馬太郎。そのときうまくこたえられなかった。

彼女は永遠の愛を求めている。
そのくせ、自虐的であり、懐疑的だった。

いまなら言える。
「桂子、愛がないほうがセックスは楽なんだ」


セックスに愛は邪魔だ。

ようやく本論にたどり着きました。

教育者は「愛のないセックスをしてはいけない」という。
しかし、その愛とはなにか?
そしてその有無を誰がジャッジする。
その基準は厚生労働省文部科学省のいずれかが出したのか。

100組のカップルには100通りの愛が存在すると
浅田次郎さんはいっていたが、
それは本気なのか。

恋愛の賞味期限は2年から4年だという。
そういった期限条件付きの愛が愛といえるのだろうか。
諸君、同じ相手とのセックスに飽きたことないか!

セックスとは何か。
生殖か快楽か、愛はどうした。愛は何処に・・・


というわけで、ひとつの仮説をたててみました。

日本には明治初年まで愛は存在しませんでした。
その後、愛のようなものは意識されてきましたが、
それが本当に愛なのかどうか実に曖昧のまま
戦後65年を過ぎてしまっている。

ニッポンの戦争責任を曖昧にしてはいけないと叫ぶ者達よ。
その前に、大切なことがある。
曖昧にされたままの愛の本質を解き明かさなければ
話は先には進まない。
議論が咬み合わない本当の理由は、そこだ。
セックスを外してお茶を濁すなよ。