日本人の愛と死と性と生(6)
このブログでも過去に散々語り尽くしてきた愛のテーマ。
そこでいったんは結論も出したのですが、最近
ある疑問が湧いてきました。天然かけ流し
愛は民度と関係するのではないか?
これは暴論なのだ。
今回の蒸し返し戦争、虐殺、レイプについての考察が発端です。
戦争にこれはセットなのです。
日本はそれを是正するために従軍慰安婦というものを捻りだした。
不思議な民族です。
性欲させ処理すればなんとかなると陸軍大学出身の頭でっかちは
理詰めで机上の論理を実行させた。
それで、軍紀の乱れも戦争の狂気も抑えられると考えた。
実際はそうはいかない。
宮本輝の父親の証言から
虐殺行為は地方出身者の多い隊で行われる場合が多かった。というのがある。
(無論、指揮官の能力も影響するのですが)
この「地方出身者」をずっと考えていました。単に差別じゃないよ。
日本の環境に都市部と農村部の民度の格差がある、と仮定します。
その裏付けとして、昭和40年代まで
農村部には「夜這い」の風習があった。
わたしは民俗学から「夜這い」のシステムや思想に大きな関心を持ちます。
これはある種の平和的な共同体の在り方のヒントです。
しかしさ、それは客観的な傍観者、第三者、部外者の場合であって
わたし自身が岡山県稲子郡大字小字チロリン村の馬太郎で
恋女房のお律が夜這いされるのは嫌だな。これは執着かエゴか?
またそれを受け容れる妻も許せない。これは嫉妬で醜いか?
けれども、平和を考えるときに
こういった女性の共有はとても効果的なシステムであることを認める。
ベトナム戦争頃に流行ったヒッピーの生活共同体がそれです。
ラブ&ピース。これを母性社会とします。横の繋がり。
対して、これも疑似家族ですが、仁侠世界は父性社会で縦の繋がり。
こちらは抗争が憑き物です。土人の世界のようだ(笑)
夜這いの存在した日本の村社会は前者に位置する。
無論、そこにも戒律はあり、掟破りの制裁もあり、水争いなどの抗争もある。
暴論とは、この村社会には愛がなかったのではないか。
ないというよりも、それを意識、認識できなかった。
価値観だけの問題かもしれません。
けれども、愛を認識できないので、その価値がわからない。
というのもある。
日本人が愛を否応でも意識しなければならなかったの
文明開化の明治からです。外来語の到来翻訳に悩んだ。そんな言葉がなかった。
造語が生まれます。「哲学」「芸術」「理性」「科学」「技術」・・・
なかでも「Love」には困ったぞ。
悩んだ挙げ句に「愛」をあてた。
この、愛は現在の私たちがイメージする愛とはちょっと違う。
慈悲というか上下関係がある。
ここだけを見つめれば、明治に制定された「愛」以前までは
現在の愛は存在しなかったと考えられる。
セックスにしても
気持ち良いことして何が悪いべさ。
そんがな狭い了見だば、煩悩じゃあゆうて和尚さまに叱られるど。
さあって、今夜もお寺で乱交パーティーじゃ。
今夜は橋向かのは花を可愛がってやるべえかな。
別に減るもんじゃないべさ。なにを言うとるんじゃバカタレ。
てな感じですかね。
当然、こういった発想は都市部では通用しません。
強姦罪でお縄です。ここに格差が生まれる。それを民度とします。
どんなものにも長短はあるもので、この民度にもそれはある。
それでも、明治の日本人の民度は低かった。
公共というものをあまり意識しなかった。
汽車でトイレに入って水飲みコップがあると紳士でも必ず失敬したそうです。
現在でも旅先の旅館でそんなことする人いますよね。
最近は宿泊先もあきらめて持ち帰る自由にしていますが(汗)
あいたあ、長くなっちゃった。
長くなるとウチのパソコンでは認識できなくなるので
いったんここでとめます。続く