日本人の愛と死と性と生(番外)
「ねえ、愛している?」
そう問われると、たじろいでしまう。
「愛していないの?」
「いや、そういうわけじゃない」
「じゃあ、愛しているって言ってよ」
わたしはその言葉を使えなかった・・・
愛というものに懐疑的だったこと
なにか口にしてしまうととても軽くなりそうで恐かった
それと地方出身(方言使用)者だったこともある。
大阪の友人に聞いてみた
ねえ、愛しているって言ったりするの?
「ゆうで」
「うそ! 好きやねん じゃなくて」
「なんでぇ? 普通に言うで」
「儲かりまっか?じゃなくて?」
メイクラブの誘いの言葉が「屁こいて寝よ」の
関西人も堕落したものだ・・・
明治初頭、
「Love」を日本語変換するときに「愛」とした。
現在なら誰もそれに異論を唱えるものはいませんが、
当時はちょっとした話題でした。山手線を「E電」というくらい(そんな時代もああったよね♪)
ちょっとした座興でしょうが、夏目漱石は「Love」を
「月がきれいですね」と訳したといいます。さすが文豪!
同時代の文学者で言文一致の元祖二葉亭四迷は
「死んでもいい」と訳した。凄いな(汗)
しかし、この表現の凄味は、彼が作家という表の顔の裏に
軍事探偵、スパイだった。ということもある。
日露戦争前、満州北方のハルビン。
ここに軍事探偵石光真清のアジトがあった。そこはスパイの巣窟だった。
スパイは捕まると即刻死刑です。
開戦早々に銃殺となる横川省三、沖貞助もいた。
満州義軍の立案と軍師を務めた鶴岡永太郎もいた。
そして、二葉亭四迷もいた。
二葉亭四迷も死と隣り合わせのなかで生きていました。
実際、彼の最後は帰国途中のベンガル湾の船上での客死だった。
書斎に落ち着いて文学するタイプじゃなかったのさ。
彼にとって、愛とは「死んでもいい」
熱狂のエロティシズム、ロマンティシズムだったのだ。
これは、彼に限らない。
愛とは、死んでもいい。
そういうものだと思う。
だから、愛を恋愛だけで括るのは間違っている。
自民党石破政調会長に復刻ブルートレイン「はやぶさ」で
鹿児島〜東京。そこからカシオペアで北海道への旅
「死んでもいい」
馬券狂が有馬記念で万馬券を的中させれば「死んでもいい」
和子がヨン様に会って握手できて「死んでもいい」
昭和45年からツチノコを探して40年の松田さんが遂にゲットだぜ!
「死んでもいい」なのです。
愛は死んでもいいなのだ。
ねえ、愛している?
・・・死にたくない