あかんたれブルース

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メディアの背後に算盤塾

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メディアと民主主義(5)


明治12年創刊 創業者木村平八は二年間で三万数千円の資金をつぎ込む。
明治14年  木村は村山龍平に一万円で経営権を譲渡。
この後、資本金を三万円に増資
内訳は 村山龍平 一万三千四〇〇円
    上野理一 六千六〇〇円
    小野十作 一万円(明治政府のダミー)

明治15年4月に政府から一万五千円を政府から三井銀行を通じてを借り入れ。
     また、明治15年から18年の三年間に毎月五〇〇円を政府からの援助を受ける。
     合計すると一万八千円也(政府機密費より)

明治21年 東京朝日新聞を発行
    資本金四万四千五〇〇円に増資
内訳は 村岡が231株(約60%)
    上野が114株(約26%)
    小野(政府・三井)が株100株(約14%)


これが朝日新聞の創業時から初期の資金の流れです。
昨日も(本日も上記註釈入り)記したように小野十作なる人物は
三井のダミー。
こういうことは読売でも毎日でも日経でも同じ。
むしろ、朝日は明治27年に政府所有の株式を買い戻して
三井との秘密関係を解消してるからマシかも。
しかし、もともと上野理一は三井と姻戚関係にありますからね。

この後、村山龍平と上野理一は交代交代で社長を務める。
村山龍平の娘婿になるのが村山長挙といって
子爵・岡部家から養子に入るのですが、ここから三菱との姻戚関係が生まれる。

現在も朝日新聞は村山、上野の両家で株式を分け合う筆頭株主なのですが
そこには三井系と三菱系という財閥と深く繋がっているのですね。

こんなことを書くと、すわ岩崎三菱はモルガンだユダヤだと騒いでいる人を
見かけますが、そういう陰謀説をどうこういってるのではない。

それでも朝日新聞はまだマシな方だったということです。(50歩100歩だとしても)

として、新聞社と企業は繋がっている。
もともとそういう性質のものなのです。新聞は事業なのだ。
マスコミとはビジネスなのです。

それをここでどうこう批判しようというものではありません。
そうではなく、比較的朝日はそういった関係が他紙よりも薄かった。
その意味でリベラルな新聞といわれていたのでしょう。

満州事変以降、日本のマスコミは言論統制で手も足も出なくなります。
それを理由に擁護するものではありませんよ、決して。
それと戦争や事件は新聞社にとってビジネスだということは付け足しておきますが。

それ以前の、朝日新聞の寺内内閣糾弾報道の裏には
財界の思惑がある。ということです。これはまた先で触れます。

唐突にはじめた「メディアと民主主義」シリーズですが、
尖閣諸島問題ふくめて、現在の日本は戦前の日本に酷似していると思う。
中国との関係も昔からこうでした。
日清戦争前も、辛亥革命から満州事変までも

よく、歴史責任とかいって「あの過ちを繰り返していけない」
とか聞きますが、そういう人たちでもビリビリ反応させている。
敏感なのか、過剰なのか、性急なのか・・・
これもまた平和ボケからくるひとつのツケかもしれません。
また、マスコミ信じられない。といいながらも
その発言のソースはマスコミからのものだ。

「そんなこといったってそれしか情報ないじゃないか!」
と苛立つ人もいるでしょうが、そんな焦らなくたって(汗)。

何人か冷静な判断から、
興味深い記事を紹介してくれているブロガーさんもいます。
今回、そういうブログの存在を確認できて嬉しかったです。

「ネットは世論になりずらい」のでしょうが、
こういった方々が増えていけば影響力もあるのだろうなあ、と思うし、
マスコミだって活用次第であり、読み解き方です。
そういうところから、変わるのではないでしょうか。
日本の民主主義も。