あかんたれブルース

継続はチカラかな

誰が得する?

イメージ 1

メディアと民主主義(6)


新聞(報道)が事業・ビジネスという十字架を背負っていると記しました。

その意味で、戦争は絶好のビジネスチャンスなのです。
部数拡大の。それを痛感のが日清戦争だった。
だいたい、1.3倍ほど固定読者を増やしたそうです。

ここに資本主義経済と戦争の因果関係も生まれる。
そんなことわかっている。わかってはいても、なんとなく曖昧でもあります。

本日は戦争というものを考えてみますね。

日清戦争を日本の侵略戦争の魁とする考えがある。
そりゃあそういう見方もできましょうが、それをたてに叫んでも
あまり説得力がない。
いえ、わたしは戦争を美化正当化しているんじゃないですからね。
過敏に反応しないですください。お願いします。

わたしはこれまで
戦争というものが不経済で非効率なものである記してきました。

たとえば、この日清戦争からしてそうです。
その目的は李氏朝鮮から清国の影響を排除して独立性をもたせる。
そのため清国と戦って勝ち、そのパフォーマンスによって
日本の実力を世界に認めさせて不平等条約改正に持ち込む。

だいたい九割ぐらいはクリアした。

この講和について、荒尾精が賠償金や領土を清国から奪ってはいけない。
と泣いて訴えましたが、聞き入れられません。
盟友の杉山茂丸遼東半島などを管理するのは大変だからやめろと
伊藤博文に迫りましたが聞き入れられない。

別に伊藤博文が悪いんじゃないです。
そんなこと議会も企業も国民も納得なんてしません。

で、結果どうなったか。
三国干渉を受けて、ロシアという大国を満州に引き込んでします。
さあ、大変だ。
新しい問題を生んでしまう。この相手は清国とはわけが違う。

また、増税で臥薪嘗胆だ。

血税を絞って絞って軍備を整えて、日露戦争です。
これこそ国家存亡の危機ですからね。
で、勝った。

日本は満州の権益を獲る。ばんざ〜い!

しかし、これが新たな問題を生むのですから
人生万事塞翁が馬太郎。

いま尖閣諸島問題ふくめて中国の非道、中国人の民度云々が叫ばれているけれど
それは昔から同じなのです。
その問題は明治人の大正人の戦前の日本人も嫌というほど味わっていた。
だからって、漢民族をみんな敵にすることはない。
でも、冷静さ欠いて、そうしちゃったんですよね。

後講釈、後知恵になってしまいますが
もっと上手にやれなかったものかと臍を噛む。痛てっ


つまり、結果として太平洋戦争の伏線は日清戦争からいっても過言ではない。
でもだからってそれが日本の侵略戦争の始まりとするのは
理論の飛躍なのだ。

途中でいくつも改善のチャンスはあった。
問題は常にありましたけれど
それをしくじったのは、無論、軍と政府なのですが
報道機関と国民だって同じなのです。

50歩100歩です。

その差の50歩で侃々諤々いっても仕方ないのだ。
また、死んだ子の歳を数えるように「戦争責任」を連呼しても
なにも変わらない。

軍も政府も新聞も国民も一括りにできない。
たぶん、そのほうが整理しやすくて解りやすいからでしょうが、
そういう捉え方をするからよけいに混乱するのもとだと思います。

今だって、そうですよね。そういうことです。