あかんたれブルース

継続はチカラかな

不自由な固定観念の呪縛

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メディアと民主主義(7)


朝日新聞の戦争責任を問う。をベースに話を展開しています。
そう書くと、戦時中軍の御用新聞だった朝日が
一転戦後は無関係を装い・・・ということの糾弾論文と思うかもしれません。

また、馬太郎は「右翼」だから朝日新聞を持ち出して
戦争責任をうやむやにする腹だと思う人もいるかもしれない。とか


わたしは、杉山茂丸とか頭山満が好きです。

「ほら、やっぱり右翼じゃないか」

いえ、杉山や頭山は(今でいう)右翼じゃないよ。
そう考える人は、まずそこから、その固定観念から見直す必要がある。

朝日新聞の誕生から、大組織になるまでの
資金の流れを紹介したのは、
毎日や読売に比べて、政府や財閥の影響が小さいことを証明するためです。
それでも大なり小なりまったく無縁じゃないことも付随させて。

朝日は戦前もリベラルな新聞だった。
どの尺度をもってそうジャッジするかは色々あるでしょうが、
それは大枠正しいと思います。

その朝日が、日露戦争講和条約に反対して
民衆を煽り、日比谷焼き討ち事件に発展する火付け役をしたり、
米騒動から鈴木商店の焼き討ちを煽動したり
関東大震災在日朝鮮人の暴動の警告は発したり
してきた事実をどう解釈するか、です。

それを、権力者にコントロールされていた。とか
斬って捨てれば簡単でしょうが、ホントにそれだけか?
わたしはそれだけですませてしまうことのほうが危惧するな。

問題は、マスコミの性質なのです。

ペンは剣よりも強い。といわれる。が、
ペンだって目を刺せば立派な凶器に狂気にもなる。

新聞は事業として成り立った。
だから儲かると踏んで多くの起業家が参入したわけです。
無論、そこに言論という魅力もあったでしょう。

そして、淘汰され巨大化、肥大化する大企業となる。
そうすると、組織としての別な問題が生まれます。
経営の問題。そして権力争い、派閥抗争。

朝日新聞も例外ではない。


マスコミに対する不信。

その意味で、リベラルだった朝日の変遷を追ってみると
如何にマスコミ、メディア、ジャーナリストというものが
「時代」に左右される性質であるかが、理解できると思いました。
これを毎日や読売でやってもあまり意味がないんだなあ。

だから、このシリーズはただ単に朝日新聞のパッシング記事じゃありません。

それを踏まえて、現在の朝日新聞、現在のマスコミの問題と
その解決策が生まれればいいのかなあと、思うのです。


また、後で触れるでしょうが
戦前の朝日新聞には頭山の玄洋社内田良平黒龍会
そして杉山茂丸も深く関係している。

「ほら、右翼じゃないか!」

違うってば、そういうカテゴライズが間違っている。
孫文を支持したり、レーニンを支援していたのですよ。

「じゃあ、左翼だ。やっぱり左翼だ」

違うって言ってるだろうが、馬鹿!

「馬鹿っていう人が馬鹿なのです」

ああ、言いすぎたよ。

「暴言です。訂正してください」

さっきの差別発言を訂正します。

「謝罪を求めます」

えっ、誰に?

「私の質問にちゃんと答えてください」

答えているじゃないか。

「論点をそらさないでください」

議論していたのか?

「逃げないで、ちゃんと謝罪してください」


とほほほ