あかんたれブルース

継続はチカラかな

良識の履き違え



ハルジオンさんから「良識(派)の履き違え」の意味がイマイチ
ピンとこないと質問されたました。

コメント返信ではなかなか難しいものです。
『陸軍良識派の研究』保阪正康光人社)という名著があるんですが
これをテキストにしてさらに考察しないといけない。
仁義なき戦い』シリーズから
なぜ、広能や松永は山守に敗北したか、でもいいけれど
女性陣に東映実録路線全五作を観よと強要するのも
セクハラっぽい気もします。

関東地方は雨なので、すこし良識派の徒然と落とし穴について書いてみます。

良識の定義は、わたし考えるに広い学識知識見識がベースにあると思う。

どんなものにも長短があるものですが
こういった見識があればあるほど、知れば知るほど
あまり下手なことは言えなくなってしまうものです。
それもあって、なかには広げることを躊躇する人もいるものです。

良識派はそのハードルをクリアした者である。
けれども、それだけじゃあ問屋は卸さない。

先々が見える(予測できる)が故に、色々なしがらみを背負い込んでいる。
めくら蛇に怯えず。というように単純に斬った張ったできません。
そして、寡黙と孤高が生まれる。渋いね(汗)

しかし、それが生き様となったとき
個人的なものに特化してしまう場合があります。
武士道的生き方のマイナス面に似ているかもしれませんね。
美学になる。
そう悪いことでもないのですが、個人に特化する美学。これが曲者だ。

自分の美学に反することはやりたくな。

別にいいじゃん。

環境的にそれが許されるのなら大した問題にはなりません。
しかし、広い見識を持つ良識派は同時に有能でもある。
人間三人よれば派閥が生まれると申します。

三人とも良識派だったら問題はないのですが、なかなか難しい。
ある組織があったと思いなさいな。
●派と▲派が対立しています。
良識派はだいたい中間派で■と相場が決まっているものです。
●派と▲派の対立はエスカレートして抗争に発展する。

心ある者達はこの無意味な戦いを止めさせるために
良識派を長とする中間派に集結し第三の派閥で解決しようとします。

まずここで、そういった生臭い事に身を置くことを
良識派は嫌がるのでそこで抜けてしまいます。その後・・・

それでも踏ん張る良識派もいる。
彼を慕う者達を見捨てるわけにはいかないし、その組織を愛している。
彼なりに双方の派閥に働きかけますが、双方譲らない。どころか
中間派の取り込みに躍起になる。それが成功すれば勝敗は決する。

煮え切らない中間派の良識派ですが、遂に決断するときが来た!
熟考して、一番ベターな方、たとえば●派を選ぶ。こうして▲派は敗北。
組織は●派の天下となります。

さて、その後、もともと●でも▲でも根は一緒。
良識派ではない恥知らずですから色々な弊害を生み出します。
それを是正しようとする良識派の■ですが、
なんせ●は声はでかい押しは強い屁理屈はああ言えばこう言う手練手管です。
結局、●の御都合主義や我が儘や泣き落としに屈してしまう。

これがこれまでの歴史のパターン。

この『陸軍良識派の研究』では、旧帝国陸軍良識派を紹介しながら
その性質を分析しているのですが、そのなかに石原莞爾を入れているのがニクイね。
その石原が対するのが東條英機です、が、
石原は東条のことをバカにしてますから(↑)のようなパターンにならない
だろうと思うでしょ。(だいたい良識派は東条上等兵なんていいませんが(汗))

ところが、東条は石原を屈服させる呪文を唱える。それは

天皇陛下」という呪文だ。

この呪文に多くの良識派は屈服して南方戦線やら予備役編入していったのだ。
えっ? だから天皇の戦争責任? そういう問題じゃない。もっと見識を広めなさい。

日本には「恥の文化」というものがある。これにも長短がある。
良識派はそういった価値観文化のなかで恥を感じます。
卑しさとか、浅ましさ、醜さ、虚しさ・・・
そういうものを恥じる。そして己の美学に照らしあわせる。
良識派は無気力となり無力化していきます。

薩摩人の生き方在り方に「己を空しくさせる」というものがある。
無私というか己をできるだけなくす生き方です。
こういうのを犠牲的精神といって危険視する人もいるでしょうが
それはまた話が違うと思います。ま、解釈は自由です。

で、良識派のなにが問題だったかっていうとそれが個人的な美学になった。
つまり、己(個人的な)に特化してしまった。
ここだよ。
だからそれをクリアできれば良識派でも
腹黒い施政者に利用されない。

良識の履き違えとは、
そういった見識からくる「常識」とか「原則論」「世間体」に左右され
ある種の罠にはまって身動き取れなくなること。また、
誤った判断をおかしてしまうこと。
だと考えました。