あかんたれブルース

継続はチカラかな

寅さんへ春風さんへみんなへ

 

寅さんへの「真贋」の返信が上手にできたかどうか
それと春風さんにも伝えたいたいことなので
少し固い内容なのですが
過去記事から探してきました。
また、これとは別に、わたしの真贋に対する気持もアップするかも
しれませんが、取り敢えずこれを参考にしてください。


 人物眼という言葉があります。

 けれども、私たちはそういった眼を持ち得ない。
 そういう教育を受けてこなかった。ということもあります。

 偏見を無くし、平等に、ありのままに受け入れる。

 確かに大切なことです。が、

 その結果として「裏切られた」と嘆く。

 そして、「みてくれよ」と開き直って豪語される言葉に気を惹かれます。

 それもあるでしょう。

 また、第一印象も大切かもしれない。

 相性というものも重要です。

 けれどもそれらは、ひとつの方法論でしかない。

 それらの方法論だけではあまりにも少なすぎて、
 人物眼というにはほど遠く
 頼りないものです。

 中国戦国時代に秦の宰相を務めた呂不韋が編算した『呂氏春秋』には

 人物眼の方法論が八観・六験・六戚・四隠として紹介されています。


 八観という人間観察法は

 昇進など地位が上がって、その人がなにを尊重するか。

 その時に、誰を、何を、薦めるか。

 お金が出来る(富む)と何にそれを使うか。

 人の意見(良いアイデア)を聞き、それを実行できるか。

 現在の環境に満足するあまり停滞のなかで時を浪費していないか。

 熟練習得して、その言動がどう変わってきたか。

 貧窮して、何を受けないか。(助言や援助など)

 苦難の境遇のなかで、何にこだわり、何をしないか。


 六験は

 喜ばされて(おだてられて)、自分を見失わず、律することができるか。

 精通して自信をもった場合に、その考え方に偏りはないか。

 怒らせて、どんな節(そのあとの処理ふくめて)を保てるか。

 恐れ(不安にあって)させて、どれだけ自分を持ち得ているか。

 悲しいときに、どれだけ自分を持ち得ているか。

 苦境のなかで、どれだけ自分を持ち得ているか。


 さらに六戚では、親、兄弟、配偶者、子供を観察する。
 「親の顔が見てみたい」のあれですね。


 そのなかにさらに隠れる四隠は

 どういう友人と付き合っているか。(現在)

 どんな人と交際してきたのか。(過去から現在)

 どういう環境に住んでいるか。

 どういう生活態度であるか。

 このなかで、どういう人と今現在付き合っているか。
 そして、きたかというのは重要ですね。
 どういう家、環境にあるかには、その人の部屋の整理整頓など
 生活態度から観るということでしょう。


 なにやら娘の結婚相手を興信所に調査依頼するようなニュアンスですが、
 それ以上に、私たちは無防備である事実も確かです。

 これは同時に、自分に対してのチェックリストだと考えるべきでしょうね。
 他人は自分を映す鏡でもある。