あかんたれブルース

継続はチカラかな

『手と声の輪』〜テーマ「幸せ」〜




人間がこの世に生を受けて自我が目覚めて
自分と他人を意識する。
成長していく過程で、自己の存在を意識する。そして、
なぜ生まれてきたのか、なんのために生まれてきたのか悩むものです。

人間は幸せになるために生まれてきた。

こういうと違和感を持つ人もいるかもしれません。
私達はどこかで幸せになることを恐れている。
それをどこかで罪深いことだと感じていたりします。

それは、幸せの価値観を見誤っている、というのも
ひとつの理由かもしれません。

私達の求める幸せとはなに?

豊かさ。
だとすれば、それはどんな豊かさなのか?
もっと具体的に、お金であれば、それはいくらあればいいのか?

私達の幸せの対極に不幸がある。
いえ、そうではない。
私達の幸せの対極にあるものは、不安と怖れです。

私達は不安と怖れを数えて時をすごしています。
それが悩みの正体といって過言ではない。
そうすることが正しい知性だと錯覚している。

備えあれば憂いなし。確かにそうかもしれない。

けれども、その豊かさはどんなものですか?
いくらあれば安心できる備えになるのでしょう。
誰も答えられない。
一億と答えた者でも、それが得られればそれでは満足できなくなる。
瞬きひとつでまた不安と怖れの影が忍びよってきます。
二億といっても三億といっても同じこと。金額の問題ではないのです。

それよりも、その不安や怖れを根本から解決してみてはどうか。
そんなことを考えてみたりします。
幸せの本質を考えてみる。

安心できる生活、社会、そして人間関係。
そういう環境であればいいのではないか。まず、それがひとつ。

  「そんなの無理」

どこかでそんな声が聞こえます。
なぜ無理なのか。
そうですね、それを強要しても無理ですよね。
でも、もし
私達の価値観を変えてみたら、どうでしょう。
現在の私達の価値観は物質文明に強く影響されています。
豊かさもその基準で計られている。

そんなものでは到底、幸せになれないということを
私達はそろそろ感づいてきました。
いい頃合いなのだと思います。

今年の夏、花田仲之助ゆかりの養護施設を訪ねて職員の方からお話を伺いました。
ここは、敗戦で孤児になった子供達を保護するために設立されたそうです。
決して豊富な運営資金があるわけではない。
それでも、この子達には「みんなで一緒に食事する」事だけは
心がけてきたといいます。

いま、日本はその当時と比較できないほど豊かになりました。
それなのに、年々こういった親と一緒に食事ができない子供達が増えている。
女性の職員が最後にそうこぼすのです。

そういえば、知り合いのうちは教育熱心で学校が終わると
そのまま塾に通わせている。ランドセルのなかには夕飯のお弁当が入っています。
それを塾の休み時間に食べている。
塾代も高いので母親はパートに出て、そして手作りのお弁当を作っている。
子供も素直で両親の云う通りに毎日まじめに塾に通っています。
偉いなあと思う。

けれども、家族の夕食はバラバラです。
なぜ、そこまでしなければいけないのか。そんなことを最近は考えてしまう。

幸せってなんだろう?

わたしは、幸せというものを、
まず一緒に楽しく食事すること。そういうふうに考えてみました。

グルメとか食べ放題とか極上とかでなくていい。
大切な人同士が同じものを楽しく食べる。
幸せとはそういうものではないかと考えてみました。



この記事は、『手と声の輪』
http://blogs.yahoo.co.jp/haru_zion_haha
(春紫苑『Hand In Hand』参照)
企画として書いた記事です。