あかんたれブルース

継続はチカラかな

美人の脇の下

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生死観と性愛観(10)


娘は、器量が良いだけで幸せの半分を手に入れている。と
さだまさしは歌ったけれども・・・

美人について

わたしの知り合いに踊りのお師匠さんがおりまして先日、
>最近、そんなに親しくない女性に(40代後半)
>「あなたは自分で自分の事をきれいだと思ってるでしょ?
>何でも思い通りになるって思ってない?」っと言われました。

と面と向かっていわれて、ショックだったそうです。

実際その場に居合わせたわけではないので
その四十女がどういう筋の人かはわかりませんが
半分はやっかみとか嫉妬もあただろうし、またお師匠さんにも
いわれてしまうなんらかの理由もあったんでしょう。それはそれとして、

人間は内面的魅力と外面的魅力があり、つまり存在します。
これはどっちが、というわけでもなく
どっちも独立したものであり、またリンクしている。
性格が悪くてもそれが魅力となる場合もありますし、その悪さかげんで
どんな美人でも嫌われてしまう場合もある。

それでも、神様は不公平。と
手鏡をうらめしや・・・一枚たりない・・・いや五、六枚たりない・・・
と嘆くお菊さんも多いと思う。

アラフォーという言葉が流行りましたが
美しさには「若さ」という要素も付随するものです。
その意味で、旧乙女たちはそのボーダーラインで必死に踏ん張ったり
確認しようとする。

現在の女性の価値観で「美しさ」(若さ)は重要な自信の源泉なのだ。
でもさ、それは無謀な挑戦でもある。
人間は老いるし、時間は一方通行で確実に死ぬわけです。
アンチエージングなんていっても個人差やら限界もあるでしょう。
それよりもそのすべてを受け容れるほうが遙かに良い結果を生むのではないかと。

長年、美人というものを研究しております。
ひとくちで美人といっても色々と多種多様ではありますが、
ひとつの特徴があります。(あくまでも傾向ですよ(汗))

コミュニケーションが下手だ。

ということは人間関係をうまくやれないことが多い。
なにか問題が起きるとすぐにあきらめてしまう。

あきらめがよいのも魅力ではありますけどね。
問題は、そのタイミングの見極めですから早やけりゃいいもんでもない。
そういうものですよ、世の中は。

コミュニケーション能力がすべて、といって過言じゃない。

美人というものは食材でいえば素材であって、魚で云えば
鯛やヒラメや大トロみたいなものです。
素材がいいので創意工夫の努力をしなくても引き手あまた。
対して不細工ちゃんは東京湾のハゼやオコゼですから
そのまま開き直るか、それなりの創意工夫の努力がないといけない。
これを不公平とするかどうかです。

確かにさだまさしが歌うように、
スタート地点でシード扱いの単枠指定グリグリの二重丸。
単勝オッズ1.8倍。複勝は1.0倍〜1.1倍ですが
さだまさしが歌うように「半分」しか、50%しかないあやふやでもある。
後の半分は・・・

美人のコミュニケーション能力の低さ。という点からもう一点。
それはお笑いとかトークのセンスです。
面白くないんだな。
これはある筋の人間(好事家)にとっては致命的でもある。
これが、美人は三日で飽きる。という現象となるんでしょう。

うすらぽかんとしていても、それが愁いを醸す佳人と映り
なんだかんだ言い寄ってくる輩が多いものですから
ついついコミュニケーション能力を鍛える場を逸してしまうんでしょう。
また、どんなスベるギャグでも大受けするので、
お笑いに対しても甘いんでしょう。

脇が甘いのだ。




嗚呼、美人の甘い脇の下

嗅いでみたい。(こらこらオチになってへんやろ)