あかんたれブルース

継続はチカラかな

純愛は清潔感を越えるか?

イメージ 1

生死観と性愛観(11)


昨夜、りんちゃんが美しさの表現に「清潔感」を挙げた。
そりゃそうだろう。不潔は大敵だ。論外。

そうなんだが、考える固いうんこのウマタロウスは
まず懐疑してみる。

たくさんの女性を虜にした
坂本龍馬は清潔だっただろうか・・・
秋山好古日露戦争中に3回しか風呂に入らなかった。
けれども超セクシーだ。
映画『夜叉』で北野武は歯糞だらけで田中裕子との濡れ場を
恥ずかしく語っていたが、色気があった。

泥だらけになって抱き合う男と女というものもエロティックなものがある。
たとえば、プレイメイトの撮影シチュエーションに
肉体労働の油まみれのモデルがあったりする。エロエロ

川谷拓三の出世作県警対組織暴力』で何日も拘留された川谷を
情婦が訪ね文太のはからいで警察の便所で情交をするシーンがある。

マンガやドラマの定番に独身男のアパートに押しかけて
大掃除をするヒロインに胸をときめかせたバカ野郎道ども修羅の群


清潔感は愛の障害になるのか?

突き詰めれば介護。
それはうんこまみれの日常である。
そこには愛はないのだろうか。

わたしを介護したいという女がいた。
そういう一途にわたしは萌えて濡れるのだが
オムツが濡れても彼女は濡れてくれるだろうか
その言葉は、希望的な愛の戯れ言で
その場になったら「現実は」という呪文で呪縛は解けてしまうのだろうか


清潔感のある情交

エマニエル夫人は美しく清潔感のある性交だったけれど
日活ロマンポルノにそれはない。
前者は女性陣に認知され、後者は野郎どもが集う。ホモも来る。
例えが悪かった。
鈴木清順の『陽炎座』にはエマニエル観はない。
けれども耽美である。

ウマタロスよ、なにをいいたいのだ?

つまり、純愛と一途である。

「ただいまあ」

「お帰りあなた。お風呂にする御飯にするそれとも、わたしにする?」

「もちろん、おまえさ!」

あれえ〜 (後は知らない二人は若あい〜♪)

どんな恋愛でも新婚さんには純愛と一途があるという。
もし、仮にそこに清潔感を優先させるとすれば
ホテルの一室で
「先にシャワー使って」
「ああ」
 ・
 ・
 ・
その後で、彼女はバスタオルをまいて現れる
わたしは三本目の煙草に火を着けたところだったが
それを消して、彼女をベッドに招きよせる。となる、のだが
そこに不純を感じてしまうのはなぜ?

シャワーで洗礼しなければ
語れない愛


清潔感と耽美が乖離していく
それは男女の性の格差の問題だろうか・・・
いや、そうじゃない。

愛は突然炎のごとく 火事です火事です