あかんたれブルース

継続はチカラかな

まず、疑ってみる。

生死観と性愛観(13)


「手と声の輪」で「家族」をテーマにしました。
それは、人間が構成しえる最小限の共同体です。
血縁、非血縁を含めて、共通していることはそこに「愛」があります。
「利害関係もあるだろう」と指摘する人もあるでしょうが、
ある意味で、その利害も共通する共同体である。
その利害が物質的だけでなく精神的なものであり、それも愛と解釈できるでしょう。

だから、基本は愛です。

血縁・非血縁を持ち出したのは、家族の原点が非血縁から出発するからです。
ここでは血縁の原点を「結婚」と考えてみます。
他人同士が結ばれて、子供を作り、結果として血縁関係を共有する。

だから、家族は血縁じゃない。
家族=(血縁≦非血縁) という図式が成立する。だろ

そこに夜這いというひと昔の風習・制度を引っ張り出してきて
追い打ちをかけてみました。
つまり、血縁の観念をまったく無効化してしまう目論見です。

もっとも、日本の村社会の実態から考えれば、みんな親戚遠縁縁続きです。
いまだに地方にいけばそういった環境はある。
しかし、それだと血が固まって不具合も生じるので
適当に交流循環させている。
そこに村々(各共同体)の掟や工夫がある。

ここで驚かされる事実は、
生まれた子供が誰のタネかってことがあまり気にされない。
生まれた子供はみんな(村という共同体)の子供。
それと母系社会である点。

こういった考え方はある意味で理想的なものです。
けれども現代の常識から考えると非常に不道徳なものでもある。

法的な問題と、メンタル的な問題の、二つです。

法的というのは結婚制度についてです。
わたしは、こっちのほうはあまり重要視しません。
わたし自身が不道徳な人間ということもあるでしょうが、真面目に理詰めで語れば、
日本の結婚制度が確立したのは明治期の戸籍制度が制定されてからです。
文明開化。
これは欧米スタンダードを取り込むということなのです。

一夫一婦制になったもこれからで、
戸籍制度で「誰の子か」というのも喧しくなりました。
これによって日本の人口が倍になったといわれますから、いかにデタラメ
だったがわかるというものだ。

ただ、この戸籍制度は国家の整理整頓のためのものではない。
ひとつは納税のためです。きっちり税金を納めさせよう。ま、当然の話でしょうね。
近代国家の歩みですから。
当時の近代国家とは欧米スタンダードであり、時代環境は列強植民地時代。

富国強兵のことだ。

ここに、現在の結婚制度があるわけです。

納税と徴兵がそこにあるわけだ。
生めよ殖やせよ。もそこにある。
人口増加の危機感は存在している。現に中国は一人っ子政策をとりました。
日本は逆に少子化問題でその是正に必死です。
国家が子供好きなんじゃない。納税の問題なわけです。

誤解してほしくないのは、
わたしが革新派とかで結婚制度を否定しようって腹で
こんな与太を述べているんじゃあ、ありませんよ。
前時代に、日本人は今とはまったく違う常識のなかで生きていたってことです。

で、ここまでは大してわたしも動揺はしないのですが、
もうひとつのメンタル的な問題は、そうそう理詰めで納得できない。

愛の存在が横たわっているからです。

自分の伴侶が共有される者であるって・・・
自分が共有するのは納得できますが
これって、執着とか独占とか嫉妬なわけかな?
これが前記した『人生劇場』の石黒彦市の「こだわり」に繋がるわけです。

そして、明治以前には日本に愛は存在しなかったのか?
という懐疑というか、推理が生まれる。
たぶんそんなことは結論としては覆えされるのでしょうが、
そこにたぶんヒントがあると思うのです。

でなければ、私達が考える現行の「愛」が間違っているか・・・