あかんたれブルース

継続はチカラかな

もっと、もっと考えてみる。

生死観と性愛観(19)


>愛とセックスの概念を分別しないと始まらない気がします
>愛とセックスを一緒くたにすると急に収拾がつかなくなる

>愛とセックスは別物。
>オプションとしてついてくることはあるけどね。

昨日の記事に対して、
雫さんとハルジオンさんからのコメントです。

私達が考察する、知的活動のなかで難しい問題を解決させる方法として
その問題、物事を細分化するという手法を用います。
そのほうが混乱を避けられるし、整理できるからです。
しかし、これには落とし穴があって、区分けや細分化が拡散して
本論を見失ってしまうことが多いといわれます。
これを知性の暴走という。

この愛とセックスの分離もある意味での細分化であり、
言葉を替えれば「割り切る」ということにも繋がる。
それほどに、この問題は厄介で混乱してしまうのだ。
しかし、
ここ(今回の「生死観と性愛観」)で、それはしない。
あくまでも、愛と性(セックス)を同質か愛≧性とします。

なぜならば、愛と性の区分けはこれまで既になされたきた考えあり、
結局それでは解決できない問題が存在し、
現代人はそれによって苛まれているケースが多いからです。
だから、ここでは、決着をつけるためにも区分けはしない。

すべてを性に結びつけるアイデアフロイトによってもたらせました。
わたしは高校時代にフロイトのなんでもかんでもセックス(性)に
結びつけるアイデアに不満をもった。
その後、ユングを知り、そちらのほうにより頷くのですが、
実際には現在の精神心理学のほとんどがフロイトの影響を受けていることを聞き、
すっかりそれに興味を失ってしまった。
だから精神科医の本とか医療現場のマニュアルに対しても懐疑的で
同情を禁じたり、「頑張れ」に言葉狩りとかを批判してきたものです。

ここ最近ですかね、ようやくフロイトの考えを咀嚼できたのは。
それには小此木啓吾という優秀な案内人との再会と
数冊の良書のお陰です。

要は性を=セックスと考えたことがそもそもの間違いだ。

老人が子供を愛撫するのも
私達が人の集うところに引き寄せられるのもすべて性だという。
同性同士の想いも性だ。
こういったことを異常性愛とか無意識のなかの性的願望とするのではなく
なんというかなあ、妻が夫のためにお弁当を作ったりアイロンをかけたり
するのも性(エネルギー)なのだと。
これだったフロイトもなんとなく咀嚼できるのです。

わたしは「情愛」と「性愛」を分けない。
いや、正確にはこれまで分けてきました。割り切ってきた。
それに疑問を感じたのは20代の前半でしたが、ついついそのままにしてきた。
それでも取り立てて不具合があるとは思わなかったし、
下手にそんなラビリンスに陥っても仕方ない。そう割り切って
すべて割り切って生きてきたわけです。

ところが、色々見聞体験しているうちにこういった問題で悩んでいる人が
(女性も男性も)結構いることを知る。

精神心理学では「情愛」と「性愛」を両立できないタイプを
男性ならば「母親との絆が強い」と診断されるようです。
ひと昔にさんざん批判されたマザコンだ。
そんなものに判定されちゃあたまったもんじゃありませんよね。
でもさ、わたしは基本的にそういった心療内科バカの一つ覚えなんか
信じない。
それに、女性の場合はどうなるんだ?

この間だ、JJ. と若い頃の武勇伝を話していたときに
「あの頃は飛び込んでくるような女とかいましたからねえ」
なんて、あった。いるよね、そういうタイプ。
そういったタイプ全部じゃなないんだけれど、
ある種類の女性で、自分の体を疎かにしようするタイプがいます。

こういったタイプ、痛いというか弱いのです。
なぜかというと、彼女は心と体の統合に葛藤し、体を疎かにすることで
心を解放しようとしている。ではないかと、想像ですけどね。
でもなんとなく切ないじゃない。
「もっと自分を大切におしよ」とそっと肩に手をかけてしまうのが
人情ってものではないでしょうか。

既婚者でもまた別にケースがあって
欧米と違って日本は寝室が夫婦と子供、ってきっぱり分かれていない。
(最近は欧米化してるでしょうが)
知り合いの女性さ、待ちに待った出張の多い旦那が帰ってくると。
子供達を寝かせて、枕を抱えて旦那の部屋に向かう。
するとその背中に
「ママ」
ふり返ると四歳の娘が子供部屋のドアを開けて
バイバイをしている。
いつも一緒に寝ている大好きなお母さんと今夜は寝れない。
そういうふうに言い聞かせたからこの子もわかっている。
でもやっぱりさびしい、だってまだ四、五才の幼児だもん。
そこでグッとくるママだよ。
母親チャンネルから妻のチャンネルに切り替えたなのに・・・
「バイバイ」って手をふって、娘が部屋に入るのを見届けて
そして、背を向ける、あああ、それでも後ろ髪を引かれる
この妻の複雑な葛藤。とくらあ

でね、東京には両国と清澄白河江戸東京博物館とかあって
江戸時代の長屋が公開されおります。
土間と二間なんですが、この二間っていっても狭いものです。
いまの2DKなんてものじゃない。
とにかく、狭いのです。ここで夜の夫婦生活やるんですよ。
新婚ならいい。すれば出来る、また出来る、アッという間に子沢山。
で、こういったなかでいたすわけです。
夜這いの話は地方限定ですが、これは都市型。
どう思う?

ああ、まとまりのないままに長くなってしまった(汗)
どうしよう・・・
ということで、雫さん、ハルジオンさん、この件は
分けて考えません。
「性愛」と「情愛」は一緒じゃないとダメなのだ。