あかんたれブルース

継続はチカラかな

むっしゅのララバイ

生死観と性愛観(22)


わたしが爺といってはばからないむっしゅから
クリスマスイブにプレゼントをもらった。
「よきクシャトリアの道、よきサマリア人の道」
http://manikana.cocolog-nifty.com/main/2010/12/post-1.html

よきクシャトリアの道からは「自己愛」を
よきサマリア人の道から「無償の愛」を
それを導く福音である。

素晴らしいむっしゅ! 嗚呼、それのなに君は爺(涙)。
なんか貰ったお歳暮を他人に配るようで心引けるが
クリスマスの日に、みんなに贈る愛のギフト券です。
金券ショップにもっていかないように(怒)。

でもあれだね、隣人を愛すっていうのがよく呑み込めないなんだろうな。
その意味で「よきサマリア人の道」は上手いたとえです。
エスという方はよく錬れた方です。
わたしのように即、204号室の高橋さんと206号室の斉藤さんとしない。
しかもサマリア人っていうのは差別迫害されてた者達だ。
唸るよ。メリ〜いいいいい、クリ〜スううううマス(一節太郎風)

一節太郎・・・知らない? 「浪曲子守歌」

わたしやむっしゅでギリギリセーフでトリックスターさんや塾長が
結婚式の余興で十八番として、O〜MAさんが日露戦争の出征の時に歌ったという
浪花節歌謡のスタンダードナンバーだ。

逃ムげーたあ女房にゃあ未練はなああいいがあ
お乳い欲しいがるこーのお子が可愛い

父性だね。不器用な父性を唄っております。
昭和30年代のシングルファザーさ。

シングルマザーはよく語られますが、シングルファザーの問題はあまり語られない。
たぶんケース的にレアってことと、社会的に男性が力があるってことでしょうか。
以前、NHKの「クローズアップ現代」で特集してましたが、あれは大変だ。
子育てのために働けなくなってしまう。だから社会的な力云々も関係ない。
その意味で逆差別ともいえるね。フェアじゃない。

愛にそれぞれのカタチがあるというならば、これも愛のカタチだ。
もうそこに未練はないという。しかし、愛は壊れても、この子には罪はない。

昭和40年代のマセガキだった馬ちゃんは鼻糞ほじくって
小川宏ショーとか桂小金次のアフタヌーンショーなんていう
ワイドショーを寝ころんで観ていた。
そのなかには人生相談とかあって相談者のおばさんが泣きながら訴える。
回答者は大島渚とか、怒ったり一緒になったり感情をむき出しにしていた。
亭主に女がいる、生活費を入れない、酒乱で暴力三昧。姑との確執などなど

それから10年、馬ちゃんはファンション誌の仕事してたよ。
ハマトラニュートラ、プレッピー、秋のアイテム、デートスポット・・・
華やかで浮っついた文化の花盛り。バブル以前で
そう景気がいいわけじゃなかったんですが、なんというか
ネイビーのフラノのジャケットにボタンダウンにレジメンタイをしめて
足元はウイングチップかローファの馬ちゃんはふと
涙でグチャグチャの大島渚の顔を思いだし
「もうあんなことはきっとないんだろうなあ〜」と思った。

ところがさ、何も変わらない。どころか・・・

ニュースやワイドショーで取り上げる被害者加害者の年齢は
その頃の自分と同年代。それが最近はどんどん若くなってさえいきます。

ホントに愛と民度は関係あるのか?

だとすれば、あの四半世紀前の華やぎは、
あれは文化ではきっとなかったんでしょうねえ。


三丁目の空き地のミカン箱の上でむっしゅが直立不動で熱唱している。

♪子守り唄など苦手な俺だあがっ、馬鹿な、男の、浪花節
 ひとっう聞〜かあそおううか、ねんころおり〜っ