あかんたれブルース

継続はチカラかな

タイガーマスクじゃなくて、伊達直人。

わたしは飽きた。ウンザリなんだ。(5)


続きです。

昨年「アトムの子供」で記事にもしたけれど、
今回の件は最初の「伊達直人」という差出人の機知にある。センスの話ね。
アニメにもなったこの作品は68年〜69年に『ぼくら』に連載されたものが
オリジナルです。
『ぼくら』は月刊誌。その他には『少年』『少年画報』とかもあった。
当時わたしは小学校の3年か4年生です。
少年達の小遣いでそうそう週刊誌は買えなかったものですが、
万博の前の年だ。
ちょうど少年誌が月刊から週刊誌に代わる時期ですね。
少年ジャンプの創刊は5年生のときだった思います。

タイガーマスクはその後、『ぼくらマガジン』や『少年マガジン』に継続連載される。

しかし、このオリジナル版で、主人公のタイガーマスクこと伊達直人
交通事故に遭って唐突に死んでしまう。(たぶん、掲載誌廃刊に影響してるのか?)

私達世代のタイガーマスクはそこで終わっている。

その最期に、伊達直人はポケットからタイガーマスクのマスクを
どぶ川に投げ捨てて、名もなきキザなボンボンの優男として死んでしまう。
そして、みなしご学園の少年が「お兄ちゃん遅いなあ・・・」と。
そして少年と直人を想い、不安な表情の女の先生。
ここで、終わってしまた!

これに全国の三丁目世代の少年達は大きく動揺した。

無償の愛、美徳、陰徳、布施・・・
そんなことをこの漫画で一言も語ってはいない。
しかし、私達の心に深く楔を打ったことは事実だ。
それは「泣いた赤鬼」の青鬼さんの行方に想いを馳せるのと似ている。

だから、最初に「伊達直人」と聞いて
嬉しかったのだ。

もうかれこれ40年前の話になるけれど、
あの時に、同じようにタイガーマスク伊達直人の最期に想いを馳せ
同じ想いを共有した、その誰かの気持ちが嬉しかった。
「ああ、きっとこれは同じ世代の人だなあ」と思った。思いたかった。

捨てられてどぶ川に流されていく、タイガーマスクを追って
そして40年の歳月を隔てた今、その泥だらけのマスクを被って
ランドセルを届けてたその人に素直に感動しました。

タイガーマスクじゃなくて、「伊達直人」というのに意味がある。

それをさ、そのマスクは臭いとか汚れているとかいう。
そのことに腹が立った。
そういう問題じゃないだろう!
そりゃ、漫画の話さ。原作も梶原一騎だよ。しかし、
「僕らはアトムの子供」であって、伊達直人に恋したバカ者たちだ。
そんなすっ惚けた連中に四の五のいわれちゃシラケてしまうんだよね。

いいじゃないか。そうしたかったんだから。

なにが心配なんだ? なにを不安に思うのか?

虎の穴か?

バッカじゃないかあ。ツッコミどころを外しているんだよ。
そんな恥知らずの言うことに揺れるな、ぶれるな、納得なんかするなよ。
さあ、泥だらけになって拾いに行こうじゃないか。
臭くていい。汚れいたら拭いて洗って綺麗にしてあげればいいじゃん。

「偽善」という言葉を使ってほしくなかった。
感情論と捉えてくれても結構です。

伊達直人
この言葉が、ひとつの切っ掛けになってくれればいいと
今は素直に受け止めようよ。
疑うべき事は、そこじゃない。もっと別にあると思います。