あかんたれブルース

継続はチカラかな

十二人の怒れる男のように

表現について考えてみる(2)



昨日の記事の、なかの表記で、大分御心配させたようです。
申し訳ない。なんか、心苦しい(汗)。

こんなことをいうと興ざめしてヒンシュクをかうかもしれないが、
わたしは落ち込んでなんかいません。強がりとかじゃないですからね(汗)
昨日の文面で
「なんか自分が、とんでもない人間のようで、昨夜は贖罪に駆られ眠れなかった。」
なんて書いたのが原因だと反省しています。
一応、その後に「わけではありませんが、」を入れたのですが
改行したのが不味かったですね(汗)

司馬遼太郎の「○○だ。とはいわない」の応用編だったのですが、
文章表現とは難しい。
それと不埒な奴で申し訳ない。しくじりました(汗)

わたしの気持はだいたい寅屋が代弁してくれています。
どうか、昨夜の六人の方々の心温まる福音を読んでください。


新連載の「表現について考えてみる」の昨日記事に
むっしゅが面白いコメントを残してくれていた。

>腕力において、強者、弱者がいるように
>言論においても、強者、弱者がいる。

この強者、弱者とは何で判断するか?
これはよい考察の材料になると思うので本日の記事にします。

一番わかりやすいのはマスコミ。報道機関ですね。
メディア・媒体を有している。
権力者もそこに入ります。上は総理、下は上役。得意先とか先生、先輩・・・
縦軸の上下関係でその強弱があります。
最近は逆ギレや下克上もあります。
男女差別を持ち出す人もいるかも。ちょっよ外しますかね。

横軸だったらどうだろう。
性格とか関係するのでしょう。
わたしはよく「声の大きい者」と表現します。
分別とかもある。ここに良識派の弱点が潜んでいる。
というのは、知れば知るほど言いづらくなるメカニズムがある。

以前、しきちゃんがヤイノヤイノ言い募るで、
「ねえ、しきちゃん、そういう見方だけじゃない他の本とかは読まないの?」
と問いかけたら
「あるのは知っていますが、混乱するから読みません」と素直に答えてくれた。

そう、知れば知るほど混乱してしまうし、矛盾もあったりするし、
なかなか言えなくなるものです。
ここを押せば、向こうが飛び出る、向こうを押せば、あっちが飛び出る。
だから、知らないほうが言いやすいし、下手に知る必要もない。
となるんだね。

言いたい人には言いたい事情があるとして。

じゃあ、寡黙が良策なのか?
「見ざる聞かざる言わざる」というのがある。
これは、『三猿金泉秘録』にある相場格言。
投資の世界のハウツーと人生哲学、処世術は非常にリンクします。
なぜかといえば、共通して
メンタリティーが大きなファクターとなっているからだと思う。

人の意見や、世の中の動きや流れに影響されやすいのが人間の性なのだ。
だから、ではなく、むしろ、その裏を見ると。
そこに、弱さがあることがわかるはずです。

つまり、知らないことを一番知っていてそのことを一番恐れているが
自分自身なのだな。
だから、ヤイノヤイノ言いたい。もっと大きな声で。
その反対意見を封じ込めようとする。
ここに、相手を否定することで、自己を肯定する。という手法が生まれる。
あくまでも保身です。
無論、言う人がみんなそうだとは限りませんけどね。

で、賢い人は「見ざる聞かざる言わざる」を決め込むわけだ。

どっちがいいのか?

どっちがって、そういう二者選択の問題じゃなくて、
言うべき時、場では言う。そういう時機でないなら言う必要もない。

しかし、それじゃ納得できないのが今の世のなかの問題だ。
そういうタイミングというか機微を察することができない。
なにが重要か、という優先順位がつけられない。

たとえばさ、体力がおちてる人に胃の手術はしないじゃない。
ある程度、体力がついてからやるよね。
それを潰瘍があるからって、無理に手術したら危ない。とかさ。
そういうのが、センスなんだと思う。

それを原則論とか、マニュアルとか、手前勝手な都合で
ヤイノヤイノ言うから揉めるのだと思う。

そういうのに支配されている。バランスを崩している。
だから、いま、言うとすれば、そういうことを言わないといけないと思う。

言論においての強弱は力だけでなく技もあると思う。
表現力だからこれも力かな?
上手い下手が自ずとあるわけだ。
こういうのは資質もあるけれど、やっぱり訓練だと思う。
それをマニュアル的な思考法が怠らせているのかしれませんねえ。
当然、メンタルの問題もあれば、環境もある。

ここでの、落とし穴は自分を表現の手練れと思っても、
受け取る相手が不特定多数だったりすると、誤解される場合も多いものです。
だから、みゅうな自信は禁物という戒めもあるのでしょう。

ええっ? 面倒臭い?
それで「見ざる聞かざる言わざる」でいくのか?
それは無責任ってものじゃなか。

とにかく、言いたい? 
なんでそんなに言いたいのか。もし、そこに大義があるのなら
そのためにもだからこそ工夫や戦略が必要ではないだろうか。

一番のネックは驕りや不遜にあるのだと思う。
そして、無責任な保身だ。

十二人の怒れる男
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E4%BA%8C%E4%BA%BA%E3%81%AE%E6%80%92%E3%82%8C%E3%82%8B%E7%94%B7