あかんたれブルース

継続はチカラかな

「喜」の表現

喜怒哀楽の「喜」



先日、Kちゃんが剣道の試合でブロック優勝から決勝戦に臨み
見事総合優勝を果たしました。
逸材といわれながら長いスランプの苦節7年。
古い読者なら御存知でしょうが勝つことに執着のないおっとりした男の子です。
親としても喜びはひとしおですが、Kちゃん自身も嬉しかったと思う。

今回のテーマでAKARIちゃんだったか雫さんだったか
相撲は勝利の喜びを表に出さないという記述かコメントがありました。
剣道もそうです。
勝利を掴んだときにガッツポーズでもしてごらんなさい、
その場で反則負けの失格です。

剣道はスポーツじゃない。

武道である。というか、日本刀を竹刀に見立てていますから
殺し合いなわけだ。だから、相手を斬った殺したといって
喜んではいけないってところでしょうね。
また、ただ速く当たったからって一本とはならない。
声とか姿勢(残身)とか揃ってはじめて一本がジャッジされます。

武道とスポーツの違い・・・ゲームかどうかっていう違いかな。

さて、優勝したKちゃんの表情は?
それがさほど嬉しくそうな表情ではない。怪訝に感じた顧問の先生が
「嬉しくないのか?」と問いただす始末だったそうです。
あとで、我が家で聞いたところ
他のチームメート(個人戦だった)が負けて悔しがっているのに
僕だけ嬉しそうにできないよ。だってさ

嗚呼、Kちゃん
君は誰に似たんだろう。

ママには絶対に似ていない。これぽっちも!
やっぱりパパの子だね。でもそれでもわたしもそこまで出来るだろうか。
どうにもニヤケタ自分の姿を想像してしまう。

Kちゃんは子供の頃というかヨチヨチ歩きの頃からこんな方だった。
ニコニコしてて、人徳に満ち溢れたお方です。
ダダなんて一回も捏ねたことがない。
親馬鹿を承知でそれを記事にしたりすると
逆に心配してくれたりする人もいますが、それはちょっと違うかな。

小学校入学時に彼は「友だち100人つくる」を宣言しましたが
アッという間に100人を超えてしまった。
いまでも誰にでも好かれるKちゃんです。まったく親馬鹿(汗)

「ねえ、Kちゃんも嫉妬されるのかな」

妻がふと漏らした一言。
その言葉を一度捉えたまま、数秒して
「いや、それはないだろう」と答えました。

喜怒哀楽の「喜」を露骨にあらわせば嫉妬を生むと昨日の記事には書いた。
Kちゃんがそれをオープンにしなかったから嫉妬されないって
考えたのではない。

そうじゃなくてさ、たとえばつ〜んのコメントを引用すれば
>受け止めようとする姿勢こそが感性。

ということではないだろうか。
自分の喜び以上に他人のことに心を馳せる姿勢、その感性が
彼を嫉妬から守ってくれているような気がします。

負ければ負けたで、顧問の先生や剣友会の諸先生から
それはブーブー叱られていたKちゃん。
なによりも俗物ママからブヒブヒでした。
今回のそれは彼にとって手放しで喜べる慶びだったでしょうに、
それを思うと愛おしくなってしまいます。

団体戦は三位でしたが
次回、団体戦で優勝できればみんなで喜べるよ。
また、そのときでも負けた相手のことを思う気持ちも各自にあると思う。
教育としての武道、剣道っていうのはなかなか良いものだと思います。
学校教育や家庭教育でなかなか教えられないことを学ばせ育んでくれる。

言葉でなかなかうまく伝えられないのですが
「喜」の表現のひとつとして、参考になれば幸いです。