あかんたれブルース

継続はチカラかな

「喜」の結論

喜怒哀楽の「喜」


しかし、喜びを表に出せないっていうのも不自由なものです。
その最大の理由として嫉妬の危惧がある。

だいたいこういう嫉妬はもの凄い差があれば生まれづらいもの。
ところがさ、戦後の日本はこの差が縮まってしまいました。
スターでも美空ひばりに塩酸を浴びせた事件が顕著です。
それからアイドルが隣のお姉さんになったいった時代もありました。
政治家、総理大臣も「さん」付けから「さん」取って、馬鹿野郎扱いだ。

嫉妬と羨望・・・

マスコミは喜ばせて二階あげて梯子を下ろして二度殺す。

わたしがこれまで生涯で一番嬉しかったのはKちゃんが生まれたこと。
それまで他人の子供の誕生の喜びを聞いてもピンとかなかった。
それがあなたいざ自分が人の子の親となった日には木に登ったね。
打ち合わせの合間の雑談もついつい子供の話さな。

そんなときに、ある先輩から注意された。
そういう話題はひかえたほうがいいという。というのは
なかにはどんな不幸やら、子供を持ちたくても持てない人もいる。

なるほどなあ・・・と納得はした。

しかし、気配り気遣いといっても難しいものだと
正直なところため息です。

喜びは控えめに、こっそりと、か。

ここにはひとつの掟がありそうです。
もしそれを誰かと分かち合うのであれば
利害関係のない、もしくは共通する相手が必要なのだと思った。
ま、家族とかなんでしょうが、それよりも
わたしは違うことを考える。

セックスのことを考えてしまうところが、馬太郎の変なところです。

話は脱線してしまいますが、
このセックスってものは昨今はどうだかはしりませんが
いたゆる「秘め事」なのだ。

愛し合うもの同士がお互いに喜びを共有しあう、秘め事。

やっぱり喜びは密やかでなくてはいけないのでしょうかね。

わたしは恋愛の定義を
「共同作業」と、
「秘密の共有」としています。

恋愛だけでなく、秘密を保てない者は信用できない。
これってある種の大人の戒律のようにも思う。

男社会でそれを確認する手段として、「Y談」を告るのもあります。
JJ. が春風に迫るのはこれですね(笑)。
これはこれで微笑ましい。

ただ、喰った女のことをやたら自慢のタネで開帳する輩も多い。
あの時ああだったこうだったと事細かく。
知らない女性だったら罪もないですけどね・・・
意外に好意をもっている女性だった日には、嫉妬どころじゃない。
ニヤケた顔して浮かれてたりすると、大変な目に遭いますよ。
こういった男は最低。こういう人とは付き合わないようにしています。
もし、身近にこんな馬鹿がいたら付き合わないことです。これ、鉄則だよ。
馬鹿にも筋目がありますからね。ウツるぞ。

ということで、喜びは密やかに、ということで
でなかれば利害の一致の場と人を選ぶことです。
それ以外考えられない。